元日銀総裁 速水優氏死去

http://www.asahi.com/obituaries/update/0517/TKY200905160285.html

死者に鞭打つのは好きではないが、速水と仙石由人だけは許せないので、批判も許されたし。

日本は、長いこと日銀総裁には恵まれない。しかしながら、たとえば、戦犯という意味で言えば福井俊彦前総裁も同様であろうが、彼の不幸は日銀総裁という職にあって学問的な素養を備えていなかったことにあって、少なくとも組織のトップとしての能力に不足があったわけではない。むしろ、人望厚く優秀な人物であったようにも見える。

しかし、速水優は違う。日銀を下野し移った日商岩井では、その崩壊の一端を担った。日商岩井の元監査役、佐々木弥氏はこのように語る。

「最初、テレビで速水が日銀総裁に就任することを知り、ホッとした。これで日商岩井から出て行ってくれる、という気持ち。しかし、しばらくしてよく考えてみると、彼が日商岩井をメチャクチャにしたように、今度は日本経済をメチャクチャにするのではないかと思い至り、怒りを覚えた」(p.46)
「(速水は)日銀の忌むべき体質を天性のものの如く自分の身につけた人物。(鼻持ちならないお上意識などを)そのまま日商岩井に持ち込み、日商岩井の風土を汚染したうえ、一九八四年社長に就任するや、『バブルに乗り遅れるな』と支離滅裂な暴走経営を指揮して、日商岩井の経営を破綻にまで追い込んだ」(p.46)

日銀時代はデフレを放置するだけでなく、強い円論者として度々政府高官を困惑させる発言をし日銀の事務当局者からは「壊れたレコードみたい」とまで言われる始末である。そもそも総裁になったのも、前述の福井氏が大蔵省・日銀の接待汚職問題で責任を取らされた空白を埋めるために呼ばれたのであって、能力に期待されていたわけではない。

バブル崩壊後、この15年にわたる不景気における最大の戦犯と呼ぶに相応しい人物と言える。おそらく、日本人のほとんどが、この男によって負の影響をこうむったことは疑いなく、そんな人物が84歳まで平穏に人生をまっとうしたことに世の無常を感じずにはいられない。

ありていに言ってしまうと、私の新卒採用シーズンは、2000年と2002年であり、共に速水日銀時代に重なっている。怨んでも怨みきれないくらい私憤があるのも仕方ないと言えよう。

[参考] フラッシュバック速水日銀