伊達政宗、天下統一で濁点も統一?》こうやって段々と今の日本語が出来てきたわけだけれど、やっぱりなんだかんだ言って言語が統一されていくというのは合理的ではあります。美しい日本語が失われて云々という話はよく言われるんだが、じゃああんたは明治時代や平安時代の言葉で話しているのかというとそんなことはまったくないわけで。その美しい日本語というのはどの時点のどの場所の言葉なのか明白にしてくれないと説得力が全然ない。
文字コードという観点でもこの「三濁点のじ」を登録すべきかどうかという問題になるわけだが、ちょっとそれはあんまりだというのが普通の感覚だろう。特に今はXMLとかがあるんだから研究者間で用いる専用の仕様を用意してやれば事足りる。でも、そういう話は文字コードに文句を言う人たちからはまったく聞こえてこないんだよなあ。古代語 Markup Languageとか面白そうだけどなあ。



赤川次郎「怪奇博物館」を読む。以前古本屋で適当に買った本だったし、なんといっても赤川次郎なので期待してなかったのだけど、それなりに楽しく読めた。これが売れっ子作家の腕前なんだなと感心した次第。内容は「吸血鬼はお年頃シリーズ」みたいな話と一話完結のホラーが交互に来るという変わった形式。まあ、前者はそんなものだけど、後者は割と良く出来た話が多くて結構よさげ。文体はあのままでもキングみたいな話まで披露してくれるのには驚いた。まあ、なんせ赤川次郎なんで狼男とか吸血鬼が出てきてもまったく驚けないというところか。

2002/08/17の日記先輩からつっこみ。世界史を学ぶのであれば「高校生用の山川出版社の教科書を読むのが一番手軽」とのこと。まあ、確かに教科書が一番というのはその通りですなあ。ただ、内容的に「面白い」のかどうか不安なところ。正しいけれど、それを学ぶのはつらく厳しい道のりであるってのは趣味じゃないので。スティグリッツの経済学はアメリカの大学で広く使われてる正真正銘の教科書だけど、むちゃくちゃ面白い(物理とか工学でもこんな教科書は見たことがない。個人的には「クルーグマンの経済入門」よりも面白かった)。
歴史学を勉強しないと新しい歴史教科書を真に受けちゃうんだぞ。歴史も嘘つくためのツールなんだから自衛の努力をしませふ」というのはごもっともなんだけど、最近は歴史学自体に不信感が……。なんというか例えこれが正しいといわれても合理的な根拠に欠けるのでは納得ができない。別にデータによる統計を示せとは言わないまでも納得できる筋立てがほしいし、ある程度の根拠もほしい。もちろん以前書いたように学問というのは現在人類が持ち得る最大の知見であるわけだから参照する際は真実がどうかに関わらず教科書を参照するべきだというのは異論ないけれど。
あと、経済学を学んだせいかもしれないけれど歴史的正しさなんて案外どうでも良くて、中国との関係とか韓国との関係とか損得だけで考えればいいんじゃないかなあと思い始めてきた。そうすれば、それが歴史的事実かどうかなんていう難しい問題に踏み込まなくてもすむ。倫理とかイデオロギーとか歴史とかそういう答えの出にくい問題は経済学とか物理学ではどうしても結論が出ない場合だけ持ち出せばいいんだろうとそう考え始めてます。

↑どうでもいいけど、やはり引用元がないと書きにくい。本当はツッコミ専用掲示板とか用意すべきなんだけどASAHI-NETは掲示板ダメなんだよね。まあ、来年度くらいにはMyサーバで掲示板くらいは運営しようと思うけれど(でも別にALBIREO掲示板でもいいという話はないわけではないんだけど。やはりこれからはWikiですか?)。