ペイフォワード

人から受けた厚意や知見をまた「次の人へ渡す(ペイ・フォワード)」ことで、より良い知見が次々に広まり、いつの日かそれが常識になるかもしれません。

ひがやすを先生が最近ペイフォワードを主張しているのをみて、学生時代このペイフォワードネタでバカ話をしていたのを思い出した。

ペイフォワードとは同名の映画の中で行われた、「それは自分が3人の人に善いことをして、その人たちがさらに3人にお返しをするという」アイデアのことである。

まず、一見しただけで気づくのがこれってネズミ講じゃないかという点である。12歳にしてネズミ講を考え付くとは、やるなオスメント君。違いといえば、前のメンバにお金を払う代わりに次のメンバに善行を行うということである。

一見問題はなさそうなのだが、やはり問題がある。ネズミ講がなぜ最終的にうまくいかなくなるかといえば、結局のところある段階でメンバの数が増えすぎてしまって、次へ繋がらなくなるからである*1。これはペイフォワードでも起こり得る。一回善行を受けたら三人の人に善行をしなければならないのである。たった一回でも善行が発生すれば、すごい勢いで善行は広まっていく。しかも終わりはないのである。

究極的にどうなるかといえば、一日のすべての時間を他人への善行に費やさなくてはいけなくなる。それどころか、一日すべてを費やしても善行の負債を消費しきれなくなるだろう。もはや善行のためにだけ生きることになるのだ。そのうち、善行される恐怖から、誰とも会わなくなる人も出てくるだろう。

そんなに問題なら善行しなければいいではないかと思うかもしれないが、よく考えていただきたい。ペイ・フォワードが当たり前の社会では、善行することは社会的常識なのである。もし他人から善行を受けたにも関わらず他人に善行しなければ村八分に会ってしまう。「隣の〜さんってペイ・フォワードしないんですってよ」とか言われてしまうのである。嫌な社会だ。

というわけで、私はそんな社会にしないためにも、日々ペイ・フォワードを阻止すべくがんばっているのである。

知人の皆さん、ごめんなさい。決して悪意があって借りを返さないわけではないのです。これが地球人類のためなのです……って通用しないよなぁ。こんな理屈(泣)

*1:で、だいたいこの時期に初期メンバはトンズラをはかるわけである