ホワエグ社とサラリ社

分裂勘違い君劇場 - 社員全員がホワイトカラーエグゼンプションの会社で働いてたことがありますを読んだ。私もホワエグ社みたいな会社からサラリ社みたいな会社に転職したので、書いてあることは良くわかるし主観的にはものすごく納得である。

しかし、マクロな視点から眺めても本当に正しいのかは疑問が残る。例えば、ホワエグ社の社員がそんなに有能な人ばかりなのに、サラリ社を超えるような超一流企業にならないのであろうか。また逆にサラリ社はなぜ没落しないのだろうか。

おそらく答えは出ている。会社全体で見た生産性はサラリ社の方が高いのだ。例えば、ホワエグ社の社員は一人当たり数千万しか売上を上げていないのに対し、サラリ社では一人あたり一億の売上げを上げていることも珍しくはない。

これは個人の能力よりもむしろ会社のもうけ方や組織の仕組みの優秀さによって成し遂げられている。よく考えてみれば、人間というハードウェア自体は2000年前からそれほど進化しているわけではない。経済学が教えるように*1経済成長は知識と資本の蓄積によって成し遂げられた。また、開発経済学は勉学だけでは決して成長には結びつかないことを教えてくれる。公正な制度、社会保障、低い犯罪率、そういった社会環境があって初めて個人の能力が成長に結びつくのである。

このように考えると、労働生産性を引き上げるために世界中がホワイトカラー・エグゼンプション制度の導入に走るとは考えにくい。個々人の労働生産性を引き上げる施策などしょせん限界があるのである。労働経済学を紐解けば、アメリカのように一見自由に見える国であっても、大企業になるにつれ長期安定雇用を重視する傾向がある。これは、その企業内部でのみ有効性を発揮する知識が重要であることを意味しているのかもしれないし、長期の安定した雇用こそが従業員のモチベーションを維持し平均的に高い生産性を維持する秘訣なのかもしれない。

我々の行き先は、決して労働者が極限まで働かされるような、そんな未来とは限らないのである(てゆうか、そうであることを祈る(w)。

*1:とはいえ成長論なのでどこまで信用していいかは怪しいが。