某所に、「一度見ただけで全てが判る映画と、何度も見ることによって秘められたいとが判る(人によっては永遠に判らないこともあるだろう)映画のどちらが良い映画か?」と書かれていたので私なりに答えてみる。一度見てもおもしろく、何度も見ることによって秘められた意図がわかる方が良い映画である。ってあたり前だよね?(二者択一なのにどちらも選ばないのは卑怯だという話はある)
一応書いておくと、私は押井映画がわかりにくい映画だとは思ってない(と、書くと上の文の記載先がバレバレですが)。押井映画ってのは、一種の念を表現した映画なんだと私は思う。だから理解できない人がいるのは当然といえば当然。押井映画を楽しむにはある種の共感が必要で、この共感は必ずしも世のみんなが持っているようなものではなかったりする。
ビューティフルドリーマーにおける「学園祭前日という儚さと楽しさ」、PATRABOR the movieにおける「移ろいゆく東京」、PATRABOR2 the movieにおける「平和に無関心な日本人に対する焦燥感」、Avalonにおける「ゲームプレイヤーの感覚」(書いてないものに関しては意図的です。ちなみに私は猫派)。
バブルの時代を知らない世代になるとPATRABOR the movieって半分くらいしか楽しめないのかもね、なんて思ったり。
三学食堂に入っている業者が変わったらしい。見かけや置いてあるものは全く変わってないのだが、いつも笑顔で出迎えてくれる料理長や兄ちゃんがいなくなってしまって、寂しいと同時にえらい違和感がある。見知った場所に行ったのに、そこにいる人は皆私の知らない人ばかりなのだ。異次元空間に迷い込んだ気分である。