どうも第一家電が民事再生手続きをしたらしい。不況がここまで長引くと家電系は確かに大変そうだ。
前日に押井映画はわかりにくくないと書いておいて何なのだが、押井映画にも分かり難い部分はある。ひとつは演出が間違ってて意図が伝わらない(ビューティフルドリーマー中でしのぶを部屋から見つめる男のシーンとか)部分。まあ、それは置いておくとして、もうひとつは、無駄がないことではないかと思う。
なぜ、そう思ったかというと、最近論文を書いているからなのだ。論文というものは、極めて構造化され、無駄なく理路整然と書くものである。構造化されているということは、論理構造が明確であることであり、理屈から言えばわかりやすいはずだ。無駄がないということも、やっぱり内容が凝縮してるわけだから短い時間で理解できるはずで、理路整然と書かれているものも同様。それなのにそれなのに、論文というのは難しいものの象徴のように言われる。確かに内容が専門的であるということもあるんだろうけど、知ってる内容の論文でも頭に入ってこないことがある。
プログラム関係では有名な結城浩さんが文章教室というものをやっているのだけれど、そこに重要点は2回書きましょうということが書いてある。PATRABOR the movie 2を見て、なんて無駄の無い映画なんだと思ったけれど、やっぱり無駄って必要なんだと思う。いろんな意味で。