CD「くちばしにチェリー」を買う。しかし、濱マイクは見忘れる。だめじゃん。



かまいたちの夜」金のしおり入手(ようするに完全クリア)。このゲーム、つまらないことはないが、面白いともいいがたい。メインのシナリオからして火サスみたいなふつーの話。まあ、始まりは同じでもまったく違う物語になるというサウンドノベルならではの点を楽しむべきなんだろうな。でも、これだったら文庫本を十冊買ってきた方がいい気がする。
この手のマルチシナリオアドベンチャーの何が気に入らないかと言えば、最終的に全探索ゲームになってしまう点である。その過程で同じ部分を幾度となく見せられるし、分岐点から始められるとしても途中で話が途切れ盛り上がりにかける。
マルチシナリオアドベンチャーのそもそもの目的は、ユーザーがリアルな世界みたいに自由に行動を選べるという点にあったはずである。だが、全探索ありきの現状ではそれが意味をなさない。また、ゲームを遊ばせる側の立場に立てば、一度目ではまともなシナリオに行き着かないように作らざるおえない。その結果、メインの部分ではなく変な単発シナリオで遊ばせてごまかすということになる。
やはり、ここはゲームクリエイターも勇気を振り絞って、一回クリアしたらその場でディスクが消滅するくらいのことを考えてくれないだろうか。

中野裕之監督作品「Red Shadow 赤影」を見る。聞いていたほど駄目とは思わなかったが、誉めるつもりはさらさらない。中野裕之という監督は、ミュージッククリップ監督出身だけあって各カットごとの演出はうまい(ギャグのセンスはないが)。それにも関わらず撮ったものが映画にすら見えないのは、そもそも撮るべき物語というものを持っていない(そして、全体を通しての演出を全く行ってない)とか、主張すべき思想信条があまりにも軽薄だという点にあるのだろう。いくら自分で「『ピースな映像』作家」と主張しているとはいえ、人を一人殺したぐらいで悩んだあげく里を抜ける忍者というのは平和ボケがすぎるんじゃなかろうか。
たぶん、誰しもが感じていることとは思うが、中野裕之に映画を撮らせるのは止めた方がいい。今の日本映画界には、才能のない人間に映画を撮らせるほどの余裕はないと思うが。