音速の祈祷師織田無道が逮捕されたらしい。織田無道は信じられる霊能力者だったので残念である。あんなの信じるなよという話もあるとは思うが、一度でも織田無道の除霊を見れば信じざるおえない。あのでかい図体で「出て行け〜。出て行け〜」と唸るような大声で念じながら、巨大な精神注入棒を使って喝を入れまくるのである。俺が幽霊だったら確実に出て行く。守護霊だって逃げるに違いない。
それにしても、あの怪しげなキャラクターをテレビでもう見れないのかと思うと本当に残念である。世の中は政界、芸能界問わず健全化が叫ばれて久しいが、すくなくとも芸能界に限れば「存在感」こそが最も重要なわけでその意味で言えば酒井政利なんぞよりも野村佐知代とかデビィ夫人などの方がよっぽど価値がある。勝新太郎のように事件を起こすたびに面白くなっていくシブトイ芸能人をもっと希望したいところ。



ロビン・ウィリアムス主演の映画「奇跡の輝き」を見る。ハリウッド版大霊界なのだが、セットがすばらしく美しい。映画としてはそれほど悪くないが、やはり死後の世界を描くという根本的なところに不満があって気に入らない。別にこの映画で書かれている死後の世界が変だといってるわけではなくて、死後の世界があること自体気に入らないのである。なんでせっかく死んだのに死後の世界までこんなメンドくさい世界が広がっているのか。自殺をすると地獄に落ちるというのもよくある話だが、なんで自殺をした程度でそんな苦痛をあじあわなきゃならんのか。現実の世界の行状が死後の世界に繁栄するというのもよくあるが、現実世界では貧困層ほど犯罪に走りやすいわけだから、これも理不尽きわまりない。
私は一般の科学信奉者と同じく脳が心を規定していると考えているので、死んだらそれまでというのが当然と考えている。それにも関わらず、一般に死後の世界や輪廻転生が信じられているのは、やはり自己意識が失われることに対する恐怖を和らげるために生み出されたということなのだろう。でも、死後の世界があるってそんなに嬉しいかね。私なんぞはなんで死んでまで生きなきゃ成らないのかと思ってしまうんだが。

六角弘著「怪文書II」を読む。前作は、著者の現役時代の話を下敷きに書いていたが、こちらはその後の怪文書収集活動を基に書かれている。その分話が薄っぺらい感がある。ということでちょっといまいちでした。まあ、銀行とかそういう産業は私には向かないというのがわかっただけでも良しとしよう。