目から鱗



小説書きにとっては参考になる?(リンク先の一番下を参照のこと)

スティグリッツ「入門経済学」を読了。ようするに経済学の教科書なんだが、やはり良き本は教科書であっても読みやすくわかりやすい。(原書では邦訳の「入門経済学」「ミクロ経済学」「マクロ経済学」の内容が一冊に詰まっていて(それぞれでもかなり分厚いのです)2万円近くする。アメ公の感覚にはついていけない……)
もはや今となっては経済学も立派な科学だと思うのだが、思想書哲学書として読んでもいいかもしれない。「経済学を知らないエコノミストたち」に、経済学の中には世間知とは異なった答えが数多くあるから経済学を知らずに経済を語るのは危険だと書かれていたが、経済学で得られた知見はある種の衝撃があると思う。
例をいくつか挙げてみる。

善いことが良い結果に繋がるわけではない

政府が良かれと思って行った政策が悪い結果を及ぼすという例が「入門経済学」の中で何度も取り上げられている。例えば、ニューヨーク市は貧富の格差を無くすために家賃統制を行ったが、結果として起こったことは「平均家賃は他の大都市と変わらず、住宅不足が深刻であるにも関わらず、30万戸以上に相当する賃貸住宅が廃屋として放置され、新規の賃貸住宅がほとんど建設されない」ということが起こった。
「医療の質を高めよう」とか「福祉をしっかりと行おう」なども同様で、そのコストは結局税金で賄われることになる。それは、労働者の意欲を削減し国全体の生産性を落とす結果に繋がる。

取引に損得はない

物を買う時、通常得をしたとか損をしたなどと言うが、経済学ではそのようなことはないと主張する。理由は「損をするなら買わなきゃいいじゃん」ということ。ようするに取引を行ったということは双方が「取引する価値があった」と考えたからであるとするのである。
同様にアメリカとの貿易摩擦とか中国の安い商品が云々というのもナンセンスで貿易はどんな場合であっても双方の国にとって利益がある(もちろん、生産性の低い産業は打撃を受けるだろうが、長期的に見ればその人たちもより生産性の高い職業につくため、国全体での生産性は上がることになる)。

過ぎたことは忘れろ

経済学には埋没費用という考え方がある。これは「買った時一億円だった土地がいまや一千万だよ〜」なんていうことがあるが、その損はどのように行動しても取り戻せないので忘れてしまえという考え方である。(もちろん、本当に忘れてしまうと、同じ失敗を繰り返すかもしれないが)
これらのことを知ってるだけでも、考え方はかなり違ってくるのではないかと思う。特に「入門経済学」をきちんと読めば、不景気だからといって「痛みに耐えてがんばる」必要がないことがはっきりと判る。特に今の不景気は「政府の失敗」以外の何ものでもない(といっても小泉を非難してるわけではなく、一番の悪玉は日銀)。
それにしても教科書一冊読んだだけでマスコミの酷さがわかるというのはどうかと思うぞ。なんで「まともな意見だけが存在しない」なんてことが起きるのか不思議でならない。

そういえば、復刊どっとこむから押井守原作、もりやまゆうじ画「とどのつまり」単行本が百票たまったよんという連絡が来た。とはいえ、これで交渉がはじまるという段階なので、復刊されるかどうかはまだまだ未知数。