《今日の発見》ACCSってMXテレビ映らないんだね。テレバイダーみれないじゃん(;_;)



心霊写真》怖すぎる。これは本物ですな。

ここ一年くらい経済学に結構はまりこんでいるせいもあるのだが、知的所有権特許法とか著作権法とか)というものは経済学の観点から見るべきなのだろうと思い始めている。
経済学的に考えれば知的所有権というのは「コピーする費用が著しく安い製品の生産に対するインセンティブを高めるための政策」だということができる。著作物やブランドといったものがこの例である(ブランドだって立派な製品であるということはコンビニの加盟店料を考えればわかる)。こう定義すれば、決めるのは「政府」であり目的は「国全体の生産性を上げること」であることが明確になる。正義だとか文化だとか持ち出す必然性はまったくない。実際、以前の日記にも書いたが、現在ある知的所有権というものはそもそもこの考え方に基づいて作られている。すると知的所有権の良し悪しを考える基準は二つあることになる。

  • 権利者に与えたインセンティブからどの程度生産性が向上するか
  • 独占力を与えることでどの程度生産性が低下するか

一般的に後者の観点が無視されているが非常に重要だ。例えば、すべての本がパブリック・ドメインになって低料金(あるいは無料)で配布されれば、人々はその本を読め、かつ浮いた金で別のものを手に入れることができる。コンピュータのプログラムだって同様。これを考えれば、ものすごい生産性向上であることがわかる。もしパブリック・ドメインにして著者などのインセンティブが下がらないならば、政府は知的所有権などというものを設定すべきでないということになる。
もちろん、実際には著者たちはそう考えるわけはないので知的所有権が必要になるのは当然なのだが、二つのバランスをどうとるかが重要になる。基本的に独占力を与えることによる生産性の低下は大きいので、知的所有権を過度に与えることは国民全体の不利益に繋がると考えるべき(ようするに与えないことをベースにどれだけ与えるべきかと考える)。
世の中で知的所有権のことが語られるとき正義・不正義の観点からしか語られていないが、それは非常に危険なことなのではないかと思う。最近の経済に対する政治家の不見識を考えるに、知的所有権でも同じ事が行われるのではないかと不安だ。



《おもろい記事》食べていくことの出版()。アニメライターの死。いわゆるクリエイターと呼ばれる職業の人々がジリ貧になっていくのは、そもそも経済学の原則に逆らってるからだったりして……。