稲田智宏著「鳥居」を読む。これ冗談じゃなく本当に「鳥居」という題名。普通、題名とかテーマとかは購買者層を考えて割と広めにカバーする(例えば「神道の系譜」とか)もんだと思うのだけど、そういう事を全く感じさせない題名である。
で、最近買おうと思ったり、買ってしまった新書を調べてみると、この手の題名の本は光文社文庫ばかりだったりするんですね。例えば、「怪文書」(なぜ昭和事件史じゃない)、「紀州犬」(なぜ紀州犬に限る)、「わたし琵琶湖の漁師です」(ターゲット層がわからん)とか。「三面記事で読むイタリア」に至っては「三面記事」と「イタリア」というキワモノネタの組み合わせ。
とはいえ個人的にはカバーする範囲が狭い分、書いてる人がオタクに違いないという打算が働いて逆に買ってしまうんだよなあ(一般的にどうかは知らんが)。
閑話休題。で、内容の方だが良書であるのは疑いないが、あとがきに「時間がなかった」と書いてあるとおりまとまりにかける点がネックである。本書は四章構成になっているが、実質三章構成になっていて、それぞれ「鳥居と日本人と神道」、「鳥居の種類」、「鳥居のルーツ」という内容になっている。タイトルからすると三つ目の「鳥居のルーツ」がメインになりそうだが「『神道』と同じで、その核心は結局のところよくわからないというのが、言い訳でなく正直な思いなのである」と著者が述べているとおり、現在ある様々な説の紹介にとどまりその半分以上の分量が「鳥と日本人の関わり」についての民俗学的な解説にあてられていたりしてさすがにどうかという感じである。まあ、やはり鳥居をテーマに一冊書くのにはさすがに無理があったという気もするけれど。
むしろ面白いのは最初の章の「鳥居と日本人と神道」の部分である。その観点は「戦後六十年近く経過しても、色眼鏡を抜きにして神社を評価し神道を語ることは、われわれにはまだ許されないのだろうか」という著者の言葉に表れている。マスコミの「政教分離」論争など現在、日本で神道を語るとどうしても出てくる「軍国主義のイメージ」。しかし、神道とは本来という言葉を持ち出すまでもなく、それは「日本人の基盤」のひとつであり、初詣、七五三など庶民の行事にも密接に絡みついている。著者の言葉を借りるならば


完全な政教分離を目指すというのなら、公務員がお盆に先祖の墓参りをすることや文化財としての寺院や神社への国からの補助まで違憲とするような、日本文化から伝統的宗教を排除してしまう蛮行を犯すことにもなりかねない。
ということでもある。本書では、鳥居を通して日本人と神道の関係、外国から見た神道などについて説明されており、マスコミの語る「神道」像を考え直す良い材料になっているのではないかと思う。
しっかし何か調べるたびに朝日新聞のダメさが確認されていくのはどうしたものか。中村正三郎は「営業左翼」だと言っていたけれど、ホントにそうなのか。正しくは天然なんじゃないのか。私はマスコミがフィクションを垂れ流していてもかまわないと思っているけど、どうせなら「質のいい」フィクションを見せてくれよと小一時間(以下略)