昨日に引き続きViaVoiceのディクテーションプログラムを書こうと奮闘したのだが、かなり諦めぎみ。よくWindowsには「優れたプログラミング開発環境を持ったグラフィカルなツールがある」という主張を聞くのだが、「そういうツールがないと誰もプログラムを書けない」の間違いだろうと思ってしまった。



一部ページのレイアウトとかをリニューアル中。ちょっと最近暇がないので、少しずつ移行させる予定。このサイトに移動してからテーブルレイアウトだけはすまいと心に誓っていたんだが、いろいろ考えた結果結局テーブルレイアウトに。今まではどうしていたかというとdiv(division)タグとCSSで無理やり行っていたんだが、さすがに水平方向のレイアウトをそれでやるのは限界がある。前にW3C会員のページのうち仕様に準拠しているのは一、二割という話が流れたがHTML4.0仕様の設計者達は使う人のことを想定していたのか疑問を覚える。少なくともHTML4.0仕様以降の設計方針は私自身のニーズは満たしていない。
とはいえ、それでもこのサイトではW3Cの言うように出来るだけ「見た目と内容の分離」という原則を守ろうと努力しているのだが、実際にそれを行うにはタグの数も機能も不十分というのが率直な感想である。そもそも見た目と内容というのは完全に分離可能なものなんだろうか。いくつのタグを用意すれば世の人が求める文章内容を十分に記述できるのだろうか。疑問は次々湧いてくる。
このことは真面目に考えていくと哲学的な議論になるあげく、結局結論が出ないであろうことは人工知能研究の現状を考えれば明らかだと思うのだが、HTML4.0の設計者たちはその方向に選んだ。でも、HTMLが流行った理由を考えれば「手書きで簡単にワープロみたいなことができる」ことにあったわけだから、彼らははじめから間違っていたのだろう。
しかも、まだ懲りてないらしい。Semantic Webみたいな馬鹿馬鹿しいものに力を注いで理想を語り続けるのはさすがに呆れるではないか。いいかげん、誰か止めてあげたら。