ポール・クルーグマン「嘘つき大統領のアブない最終目標」を読む

小渕恵三は有能で良識ある男だった。彼は、最初その資格を問われたが、後に尊敬を集めた。しかし、幸か不幸かその絶頂で息絶え幕を引いた。

森喜朗は無能で無知な男だった。彼は、必然的にその資格を問われ舞台から降りた。

小泉純一郎は有能だが無知な男だった。彼は、その資格ありと認められたが、無知故に政策を間違え国民を苦しめている。

皆それぞれ日本国民を不景気から脱出させることはできなかったが、一点共通する美徳を持っている。三人とも善人だという点である。

この本を読んでひとつわかったことがある。悪意ある者がリーダーとなることが如何に恐ろしいことであるかということだ。

悪意ある政治の前には如何なる政策的批判も倫理的批判も無意味である。なぜなら、そもそも優れた政策・倫理観など目的としていないのだから。そして、民主主義によるカウンターパートすら無効化する。どんな悪事を働こうとも、権力の行使によりマスコミを操作し、ルールを改変することですべてを隠すことができる。

誰もが、今さらそんなことが現実に起こるわけがないと思っていたにも関わらず、それは事実起こってしまった。善意ゆえに誤る政治家は結果責任において選挙によって排除できる。だが、悪意ある政治家を排除するにはどうしたらよいのだろう。彼の人の存在は、我々に難しい問題を投げつけている。

嘘つき大統領のアブない最終目標

嘘つき大統領のアブない最終目標