議論

というわけで、終わりました。

しかし、こうやって罵倒を浴びる立場になってみて思うけれど「ここを読め!証拠が書いてあるじゃないか」という批判は余り有効ではないですね。批判された方としては、そこに書いてある内容が正しいかどうか判断しようがないし、短時間で理解して納得しろというは無茶な話です。理解せずに納得したところで、それはそれで意味がありませんし。

コメントにもちょっと書きましたが、個人的に議論の方法論に興味がありまして、議論の際にはあらかじめ(内容とは関係なく)戦略を立ててから望むようにしています。個人的な感想としては威圧的にでると議論には勝ったとしても、観客から白い目で見られることが多いのでよろしくないです。一方的に喋って説得しようとするのもダメ。むしろ、相手にしゃべらせて、突っ込みどころで適切に反論をいれた方が、それほど喋っていないわりに大きな効果が得られます*1

私の場合、饒舌にならない方がよいのですが、お人よしなので、ついつい説明しすぎてしまいます。説明しすぎるとボロが出やすいので、議論に勝ちたい場合はザモデル氏のように寡黙な方がよいことが多いです。最近は、そもそも議論に勝つつもりがない(勝ってもいいことはないことがわかったから)ので、観客から白い目で見られないよう注意しつつ適当に自分の喋りたいことを喋るようにしています。やはり言いたいことは言ったほうがストレスにならないですし。学者であれば迂闊な発言は命取りですが、私が何を言ったところでどうなるわけでもありません。

今回は、相手がプロフェッショナルという滅多にない機会でしたので、反論と見せかけて質問しまくるという戦略をとることにしました。本当はもうちょっと詳しく説明してくれるだろうと踏んでいたのですが甘かったですね。頭の良い人は自分が理解していることは相手も理解できるだろうと無意識に考えがちなため、何かと説明不足になりがちです。大学に入ると最先端の研究を行っている優秀な研究者よりもそうでもない人の方がわかりやすい講義をすることはよくあります。つい最近読んだ「いきいき <社内マニュアル>の作り方 (アスカビジネス)」にも同様の話が書いてありました。その道云十年という人がマニュアルを作ると説明が短く非常にわかりにくくなるそうです。

また、これもコメントで書いたことですが、議論というのは行うだけで自分だけでは得られなかった知見や情報を得られますし、他人がどのような思考をするのかということを読み取る訓練にもなります。議論などというものは、概ね勝とうが負けようが不毛なものですし、精神的にも体力的にも消耗すること請け合いですので、できるだけお互いリターンがあるように務めたいものです。

*1:でもこの前これをやったら「英-Ranはレトリックの方法論を使ってる。卑怯だ」とか言われた。私はレトリックの方法論なんぞ知らんのだが