寄付は経済学的に肯定されるか

night_in_tunisia氏のサイトを見て思いだしたのだが(と、言いつつ微妙に関係ないのだが)寄付という行為は経済学的に肯定され得るのだろうか。

などと書くと、これまた曖昧なので具体的に書くと「あなたは後進国に旅行に行きました。目の前にいかにも貧乏そうなガキが泣きそうな顔で見ています。裕福な国に生まれたあなたはこのガキんちょにお金を恵むべきだろうか」という状況である。

よく聞くのが「後進国のガキどもに無償で金銭を与えることで、国を改善しようというインセンティブが抑制されてしまうではないか」というものである。このことはマクロの視点に限るならば一面においては正しいようにも思える。「エコノミスト 南の貧困と闘う」を読む限り資本の投下も教育率の向上も国の生産性を上向かせることはできないようである。この事実をミクロの行為にも導入するならば、我々先進国の人間は彼らに援助を与える行為は純粋に無意味ということになる。

しかし一方で、我々先進国に生まれた人々と比較すると必ずしもこれは正しくないようにも思える。日本の人々は後進国の人々より多くの賃金を得ている。すなわち高い生産性を保持していると言えるわけだが、もし両親からの無償の援助を得られなかったとしても現在の賃金水準は維持できただろうか。純粋にインセンティブで考えるのであれば、両親からの無償援助など無い方がより高い向上心を維持できるはずである。だが、これに同意できる人はほとんどいないだろう。

では、どのように考えるのが正しいのか。

最も単純な解答としては、あなたの効用関数に従いなさいというものかもしれない。あなたが目の前にいる子供の幸せを願い、それがあなた自身の幸せにつながるならば、遠慮なく寄付や援助を行うことができる。これは市場主義の原則に則った適切な行動である。