稲葉 振一郎他著「マルクスの使いみち」を読む

要約すると

ということだと思ったのだが、違うのか?

しかも、結局マルクス経済学だったら近経よりもより良い平等概念を作り出せるという根拠も何も示せていない。それに、なぜ平等を志向するためにいまさらマルクスなぞ持ち出さねばならないのかも理解できない。近経で平等を研究している人はいくらでもいるし、幸福の政治経済学なぞまさにそうだ。

個人的にはすごくくだらない内容だと思ったのだが、この本を貶している人を見ないので素人を売り物にする不誠実な私のような人間の思い違いなのだろう。

吉原氏はそれでも搾取は存在するという見解のようだが、搾取と言う言葉が別冊にあるように「生産手段の所有者が、非所有者の剰余労働の成果を取得すること」ということであるならば、無意味なことを主張しているようにも思える。本当に一人の力で成し遂げたならともかく、資本の投下がある状況下で労働した場合「何が剰余労働の成果なのかわからない」。なぜならば、剰余労働の成果が決まるということは労働の価値を決めるということであるからだ。価値というのは主観的なものである以上、剰余労働の成果は定めようがない。すなわち、搾取について議論する意味などないのである。