合理性なき社会

昨今、合理性を疑う行動にも合理性があるとか、合理性を否定する奴はクズだとか、合理性に関する議論が渦巻いておりますが、医療の現場でも似たような状況のようで。


 医者は、すべての医療行為は、生体に対する侵襲を加えるものであり、本質的に危険なものであることを知っている。医療には限界があるし、どんな医療もリスクを伴う。ところが、患者の側では適切な治療が行われれば人が死ぬことはなく、有害なことが起きたなら、その医師は非難されるべき悪い医者だと思っている。こうした、いわば「安心・安全願望」ともいうべき考え方が患者の側にあり、「当事者の心情」を強調した冷静さを欠く記事によって、その「安心・安全願望」を後押ししているのがメディアだ、と著者は指摘する。

(中略)

 芹沢一也は『ホラーハウス社会』で、少年犯罪の厳罰化と治安強化の背景にあるのは、凶悪犯罪の急増などではなく、被害者に感情移入するメディアと、不安にとりつかれた社会である、と指摘していたけれど、本書では、医療問題の背景にそれとまったく同じ構図を見出しているのである。


 怖るべきことに、この国では、合理性に敵意を示し、感情論を隠そうとしない非専門家が、権力を持つようになってきた。非合理と感情論をまとめあげ、見える形にして、政治的権力を持たせているのがメディアである。

個人的には合理性を強行に主張するのも一方的な見方にすぎないと思っているし、メディアの問題と言ってしまうのもどうかなぁとは思うが*1、だからと言って合理的に説明できることを非合理的に解釈することに意義があるとは思えない。

というわけで、私は合理性という問題に対しては中立……というかどっちつかずの立場なので、そこんところよろしく(←何が?)

*1:すべてが合理性に基づくならばメディアの問題も合理性に基づくものであり、合理性を明らかにせずにメディアを批判するならばそれは感情論に過ぎない