合理性とは何か

というほど、たいした話ではなく。

ミクロ経済学において合理性と呼んだ場合、「最大化計算が可能」という強い合理性を指すので、それ以外の意味で合理性という言葉を使うのであれば、きちんと定義するか限定合理性とか有機的合理性とか用語を使用して呼ばないと確実に話がかみ合わないことになる。

で、このミクロ経済学における合理性が正しいかと言うとそんなことはないというのが行動経済学者の言い分であり、行動経済学入門とか行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)を読む限り、それは事実以外の何者でもないように思える。

もちろん、行動経済学者自身が言っているように行動経済学は合理性を基礎とするミクロ経済学に修正を加えるものであり、根底から覆すものではない。実際、実験経済学による市場原理の実験は非常に良い結果が得られており、ミクロ経済学の結論自体に大きな疑念があるわけではない。

想像するに、各個人は決して合理的ではないし合理的個人でもなく限定合理性に基づき行動しているのだが、市場や集団においては、あたかも合理的であるかのように行動しているということなのであろう。実験経済学入門~完璧な金融市場への挑戦に書かれてあるようなコンピュータよりも人間の方がすばやく市場価格に収束するという不思議な出来事は合理性の仮定では理解のできない現象であり、そのような考え方が必要であることを示唆しているように思える。