なんでもできます?

「経済」とはすなわち「お金」のことであって、金銭的な利益を最大にするように人々が行動する、と経済学は仮定していると考えられているフシがある。
最初に人々の好みを反映する「選好」というものを考えるのだけど、他人の選好と相関を持つような選好を考えることもできるし、実際に「外部性」の議論はその方向へも応用できる。

営業が「なんでもできます」と思わせるようなセールスは、後で大問題に繋がるわけだが。

たしかにお金だけではないのは確かだが、多くの経済理論が他人の選好と相関を持つようなモデル上に構築されているわけではないんでないかい? <天邪鬼なのでスマソ

経済学批判はおおむね間違っているわけだが、古典派の「自由経済であれば大不況も自然に治癒する」ような考え方も間違っていたわけだし、合理的個人の仮定だって行動経済学の結果を見れば常に正しいわけではない(ある意味、世間知の方が正しい場合もあったということだ)。

経済学の視点も切り口のひとつに過ぎないわけで、切り口に合わない例外は当然出てくる。経済のすべてが明らかになっているわけでもない。それを考えれば、一方的な見方だけしか認めないような考え方もまた単なるイデオロギーに過ぎないのではないか。

「他人の選好と相関を持つような選好を考えることもできるし」などと書かれると、まるで経済学が何でも扱えるような夢を描いてしまうが、実際にはそんなことはない。選好の条件を自由にすればするほど、その後の議論は大きな制約を受け理論の展開が難しくなっていく。

経済学を勉強していると、非常にうまい切り口を持っている部分(例:比較優位とか)もあれば、なんだかいまいちな切り口しか持っていない部分もある(例:公平とか成長とか)ように思える。経済学の信認を高めたいならば、お得感の薄い領域があることを示すよりも、単に役に立つ部分を強調した方が効果的なのではなかろうか。