広辞苑は信用できるか

# 遊民 『Yasuyuki-Iidaさん
広辞苑によれば」を根拠にする人はいまだに多いですねぇ。私んとこの業界では言った瞬間、素人扱いです(ジョークの場合を除く)。あの国語辞典はとりあえず日常生活の役に立つというレベルで捉えるべき辞書の一なんですが、岩波信仰の根強さが何とも。新村出の時代には『言海』以外ろくな国語辞典がなかったわけだから一定の権威ではあったんでしょうけれど、今や時代が違うんだよなぁ……。それと、新村猛の代になってからはあやしい説明がずいぶん増えた感があります。』

どうもかの業界では、広辞苑を根拠にした場合すみやかに素人扱いされるらしいのだが、問題はその代替が何なのかよくわからんのだよね。別に唯一の権威である必要はないけれど、(私を含む)おバカな大衆は辞書というものは国語学者による専門知の集大成と認識されており、広辞苑というのはその代表格として利用されている以上、それが権威として利用されるのはしごく当然のことにように思える。

事実関係として、まずよくわからないのだが、現状は下記の何れなのだろうか。

  1. 国語学者が納得できる辞書はない
  2. 国語学者でも納得できる辞書はあるのだが有名ではない
  3. 言葉というものは相対的なものだから、国語学者が納得できる辞書などというものは存在しない

一番目のケースだとすると、単に国語学者の怠慢であり人を素人扱いする前に己の存在を恥じるがよいということになる。二番目のケースだとすると、そのことを啓蒙しない国語学者の怠慢が原因である。三番目のケースが正しいのだとすると、広辞苑も解釈のひとつであるわけだからそれもまた正しいのであって国語学者が文句を言う筋合いの話ではない。

なんだ、どの場合でも国語学者が悪いんじゃないか(w