すべての道は古典派に通ず。しかし……

http://rblog-ent.japan.cnet.com/tamon/2007/02/post_91a9.html

すべての道は古典派に通じているからといって、すべての道が古典派であるというわけではない、ということを忘れてる記事だなぁ。古典派経済学は議論のベースとしては非常に有益だけど、それを結論だと思い込むのも問題かも、とか思った次第。

経済学の教科書を読むとわかるけれど、有名なモデルが即、実証の裏づけにつながらないということは良くある。古典派経済学や成長論はまさにそうだし、わりあい実証の当てはまりが良い国際経済学方面の理論だって単純なモデルではデータとの相違があり、対処を施したモデルでないと現実のデータにフィットしない。

ここら辺が素人にとって経済学が科学に見えない原因なのかもしれない。物理学は単純なモデルでも実際のデータと一致しやすいので、科学的理論=「現実のデータと一致する」という印象がある。しかしながら、経済のように無数のパラメータから成り立っている状況だと、その主因であるいくつかの変数によって正しいモデルが組み立てられたとしても、データと一致しているようには見えないかもしれない。ある側面では現実をうまく説明できても、選ばれたパラメータ以外の要因が大きく影響を与えるかもしれないからだ(じゃあ、パラメータを増やせばよいじゃないかと思うかもしれないが、増やしたら増やしたで自由度が高すぎてそのモデルから何が言えるのか不明確になってしまう)。

ようするに、経済学は用法・用量を守って正しくお使いくださいということで(w

[追記] なんだか寝ぼけたこと書いてるな。古典派と新古典派の違いは限界原理の有無なんだから、著者が国際経済学を知らないことを指摘するのに古典派を引き合いにだすのは変な話だ。