関わるつもりはないけれど

山形先生の話って長いけど結論だけ見ると「データは用法・用量を守って正しくお使いください」ってだけの話のように思える(用量って何だ(w)。GDPを過小評価するのも過大評価のも同じくダメだと。

で、厨先生の話は長いし難しそうだしどうでもよさそうだし、という感じだがコメント欄の「『現在の福祉』を問題にしている人達に対して、ある種の人々は『成長と将来の福祉』の問題に話を摩り替えてしまうことでないでしょうか」という話にはちょっと噛み付きたくなってしまった。

今がパレート最適でないのであれば、パレート改善を目指すべきなのは福祉の観点から見ても正当化できる。なぜなら、福祉というのは資源配分の問題に他ならないからだ。すでにほぼパレート最適が満たされていると思われる状況ならば、どのパレート最適の状態が望ましいか議論することに意義はあるだろう。だが、パレート最適とは到底みなせない長期の不況下において「パレート最適になったなら俺はこの赤い扉を選ぶぜ」などと言ったところでそれはマッチ売りの少女のマッチ程度の意味しかない。

もちろん、論者が今をパレート最適性が満たせた状態であると考えているならば別だが、そのときはまず経済学を学ぶことから始めるべきであろう。