クルーグマンの議論とリフレ政策の議論には何の矛盾もない

もう2〜3年くらい前、馬車馬さんとこで、リフレにまつわる議論があったんですよ。そのときからずっとなんですけど、このリフレ議論、最初のところで、「貨幣数量説派」の方と「クルーグマン型将来の期待形成派」がいたんですね。

リフレ政策あるいは余はいかにして(;∀;)イイハナシダナーとなりしか - pal-9999の日記

この論点は本当にどうでもいい論点だと思うのだが、なぜ気になる人が多いのかよくわからない。

クルーグマンの主張は流動性の罠にはまったら引き締めが予期されるような一時的な金融緩和は無効であると言っているのであって、インフレ期待を喚起できるような金融緩和まで無効とは言っていない。

インフレ期待は宣言によってだけ起こるわけではない。友人が毎度同じ銘柄のビールを飲んでいたならば、お歳暮にはその銘柄のビールを送ることを考えるだろう。日銀がインフレ目標を公表しなくとも、(FRBがそうであるように)暗黙の目標に従い金融緩和を行っているように見えれば、インフレ期待は自ずと醸成されると考える方が自然である(もちろん、インフレ目標を設定した方がなおのこと良いが)。

誰もインフレを信じないが、ある日突然ハイパーインフレになるという状況に納得する人が多々いる状況なので、自然と言う言葉にどれくらい説得力があるかわからないが、たとえたった一度であっても、GDPギャップを埋めるような大規模な金融緩和を行えば、(その直後に同額の金融引き締めが実施されるとは考えにくいので……だって、もしそうなら、そもそもその政策は実施されていないはずだから)インフレ期待は自ずと醸成されると考えるべきであろう。

むしろ、グリーンスパンがかつて発言したように、当局者の発言自体の影響はほとんどないのではなかろうか(実際、数日しか効果が認められないという研究結果があったように思う)。インフレ期待を起こすには言葉よりも態度で示すことが重要だと考えるが、いかがだろうか。