マイケル・サンデル著「これから『正義』の話をしよう」を読む

NHKで放映されていた「ハーバード白熱教室」の内容を元に書き起こされた政治哲学の解説書である。私も「ハーバード白熱教室」を見ていたが、なぜ今までこのような内容が放置されていたのか理解出来ないくらい面白く興味深い内容だった。

私自身はここ十年くらいは経済学を中心に知識を拡充してきたこともあり、同番組も経済学から見て正当化可能か、という観点から見ていた。経済学は、社会における数字で捉えられる現象を分析することで資源の最適配分を考える学問であり、道徳哲学のうち客観的に検証可能な範囲を取り扱っているとも言える。

私が「スティグリッツ経済学」を最初に読んだときに感じたのは、思想を導入しなくてもこんなに多くのことがわかるのかという驚きであり、思想をウサン臭く感じていた理系人間にとっては、これこそ真の思想書なのではないかと思ったものである。

その後、経済学について詳しくなっていくにつれて気付いたことは、経済学だけでは結論づけられない問題があるということだ。例えば、経済学においてパレート最適という概念が出てくる。これは、資源がすべて使われていない状態よりは資源がすべて使われている方が望ましいという効率性を捉えた概念であり、経済学において「より良い状態」を評価する最も一般的な手法である。

しかしながら、パレート最適では「独裁者がすべての資源を独り占めしている」状態と「皆が平等に資源を分かち合う状態」のどちらが「より良い状態」かは判断できない。経済学では価値判断を取り扱わないが故に、「より良い状態」について限定的な判断しか下せないのである。経済学において税制の問題を取り扱うのが非常に難しいのは同じ理由による。

具体例を出そう。経済学において理論的に最適な税とは人頭税など、税によって行動を歪めない税金である。誰もがすぐに感じるだろうが、このような税制が本当に望ましいと思う人は少ない。しかし、所得税のように金持ちから貧乏人にお金を移転させるためには「価値判断」が必須である。

経済学ではこのような価値判断の問題を「効用関数」という形でブラックボックス化し、理論の外に追い出すことでより客観的な理論構築を可能とする。そして必要に応じて最低限必要な効用関数を設定し分析する。

しかし、たとえどんなに経済学が努力しようと、現実の社会が多種多様な効用関数から構成されている以上、価値判断を設定しなければ解決できない問題が起こる。例えば、政府はどこまで人々の生活に介在すべきかという議論は塩水、淡水という呼び名が付くくらいに大きな対立点になっている(ただし、ここで言う効用関数は通常の経済学が仮定する制約付きの効用関数ではなく、幸福を関数で表現したものを想定している。同書中の功利主義の項で語られる効用より広い概念であることに注意)。

サンデル教授の議論に移ろう。私が「ハーバード白熱教室」を見て思ったのは、政治哲学の議論というのは論理的に整合性ある効用関数の形を示し、それぞれの見解においてどのような対立点があるのか整理することにその目的があるのではないかということである。サンデル教授が何度も言うように、各主張にはそれぞれ論点こそ存在するものの、結論は「ない」。

しかしながら、結論は出せないとしても、最終的に我々は社会として何らかの選択をしているのであり、どのような選択が望ましいかは、社会の構成員である我々が選挙なり日々の行動を通して実践されている。だからこそ、議論を重ねより多くの人が納得できる選択をするよう合意を図ることが重要となってくるのである。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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