非自発的失業とは何か

某所でたいへん頭のよろしい先生が大変頭の悪い発言をされていたのを読んだことを受け、本日は非自発的失業について書いてみようと思う。

非自発的失業とは、経済学の標準的な失業分類のひとつであり、元々はケインズによるもののようだが、現在でも学部向け教科書では必ず出てくる。その分類では、失業は、大きく自発的失業、摩擦的失業、非自発的失業の三つに分類される。自発的失業とは、バカンスしたいとか、病気療養とか、働こうと思えば働けるのに働こうとしない場合のことを指す。摩擦的失業は仕事はあるけど能力とマッチしない場合、具体的には肉体労働者が需要があるからと言って、いきなり会計コンサルタントとして働けるかということを意味する。それに対し非自発的失業は、働きたくても働く口がないことを言う。

この分類は、プロポーズ大作戦におけるフィーリングカップル5対5を考えるとわかりやすい。5人と5人なら本来5組のカップルが成立するはずである。この状況で「俺、恋愛には興味ないから」という理由でカップルが成立しないのが自発的失業、「私あなたは好みじゃないの」が摩擦的失業。そうではなくて、そもそも5体4から始まるのが非自発的失業というわけである。

某先生は、サーチ理論を持ち出して非自発的失業を批判しているが、サーチ理論が扱うのは摩擦的失業であり、そもそも非自発的失業には含まれていないわけだから、見当違いな批判である。

しかしながら、おそらくそこで某先生が言いたかったことはこういうことであろうと邪推する。

非自発的失業という言葉がなぜ、最近の(ミクロよりな)経済学者からこのように問題視されるかと言えば、個人としてみれば、需要がないなら価格、すなわち賃金を下げればよい、とも考えられるからだ。極端に言えば、月給100円ならば人を雇いたいという企業はいくらでもあるだろう。それにも関わらず選り好みして就職しないという行動を取っているのであるから、自身の効用関数を慮った上で合理的に失業を選択していることになる、というわけである*1

だが、非自発的失業という概念はあくまでマクロ経済学の概念であることに注意しなければならないように思う。労働市場において需給ギャップがない状況下での失業状況を集計したものと比較して、現在の失業状況はどうかを考えねばならない。その差が非自発的失業と呼ばれるべきものなのであって、個々の事例から非自発的であるかを判断することはできない。

非自発的失業を批判するのであれば、himaginary氏が引いているルーカスの発言のように「非自発的失業と過去呼ばれていたものはすべて摩擦的失業である」と論ずるべきだろう。そして、そのことは過去から現在に到るまで労働市場には需給ギャップなるものが存在しなかったことを主張しなければならない、ということである。

まぁ、正直言いまして、たった半年で労働市場を大変化させるような構造変化って一体何? と思うわけですが。えらい先生方はどこの異世界に暮らしていらっしゃるのだろうか、と思ってしまう。

いや、もしかして、私が知らないだけで寄生獣やらパシャールやら闇プログラマーやらが暗躍して労働市場を混乱させようとしているのかも。怖い、怖すぎる(w

*1:今、就職に苦労している学生諸君は、心の底からこのような主張をする経済学者に憤りを覚えて良い。君たちには、その権利がある。