「経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策」を読む

経済問題は複雑だ。それは事実であり、認めざるを得ない。どのような経済現象や経済政策であっても、良い効果、悪い効果のどちらもが存在する。とは言っても、それぞれの効果の程度には違いがあり、1円を拾う程度の好影響と洪水に巻き込まれるような悪影響のような違いが出ることもある。だから、経済現象や経済政策を語る上では、効果の列挙よりも一番影響の大きいのはどの効果なのかが重要となる。

政策を売り込む経済学者は、しばしばこの影響の程度を歪めて伝える。自説に合った効果は強く喧伝し、その他の効果は語らず無視する。過去にインフレ目標を設定することがハイパーインフレに繋がったことは一度もないのに、「理論的には」ハイパーインフレになる可能性を否定出来ないと真顔で語る本職の経済学者は何人もいた(彼らは、私よりも遥かに頭が良い正統的な経済学者である)。

今日紹介する「経済政策で人は死ぬか?」の中でも、不況が死者を減少させる事実について説明されている。不況になると、人々は消費を抑え外出を抑えるため、自動車事故が減るためだ。だが、死者を減らすために不況を起こそうと思う人はいない。不況が発生すると多くの人が賃金の低下や失業を通じて大きな不幸を被ることになる。

以前聞いた話では、失業すると余暇が増えるため就業時よりも肉体的には健康になるそうだ。だからといって、健康のために失業を望む人はそう多くはないだろう。失業することで生活費が不足するだけではなく、社会から不適合者として扱われることで精神的にも追い詰められていく。

これらの問題はわかりやすい。では、経済が不況に陥った場合、財政の悪化による経済破綻を避けるため緊縮政策にとるべきか、それとも、悪化した財政は放置し当面の間は財政政策やセーフティネットの拡充など緩和政策をとるべきか、という問題ではどうだろうか。

この「経済政策で人は死ぬか?」は、この緊縮政策か緩和政策か、といった問題に過去の事例から迫った意欲作となっている。結論から言えば、不況下での緊縮政策は全然ダメだった。

思い切った緊縮策が不況に歯止めをかけることを示すデータはなく、数字はむしろその逆を示している。つまり緊縮策によって失業率がさらに上がり、消費がますます落ち込み、経済がいっそう減速したと解釈できるデータばかりである。

そして、経済はさらなる危機に陥り、人が死ぬ。著者らは語る。

研究を重ねた結果わかってきたのは、健康にとって本当に危険なのは不況それ自体ではなく、無謀な緊縮政策だということである。

緊縮政策の結果、人々のセーフティネットである失業対策予算や健康保険、医療補助、住宅補助が大幅に削減され、不況で弱った人々が社会に戻る道を閉ざしてしまったのだ。セーフティネットがあれば職場に戻り生産活動に戻れていたかもしれない人々も、精神や体を病み生涯に渡り生産活動ができなくなってしまう。このような影響は長期に渡って国の経済を蝕む(日本においても不況時に就職できず、そのまま30代、40代になってしまった元若者たちがこれから問題として持ち上がってくるはずだ)。

その一方で、セーフティネットの拡充と言った緩和政策は、財政赤字を悪化させるように思えるが、実際にはそうではなかったようだ。著者らは大恐慌下で行われたニューディール政策についてこのように語る。

ニューディール政策全体で言えば、その額がGDPの20パーセントを超えることはなかった。しかしそれは死亡率だけではなく、景気回復の加速にも役立ったのである。アメリカ人の平均所得はニューディール政策の開始後すぐに9パーセント上昇し、それが消費を押し上げ、雇用創出の下支えにもなった。この政策に反対だった人々は財政赤字と債務増加の悪循環を警戒したが、結果的にはこの政策が景気回復を助け、債務も減る方向へと動いた。

同書では、ソ連崩壊後の市場経済への移行、アジア通貨危機での各国の対応、ギリシャの緊縮政策と言った、不況での失敗策が語られるが、そこに出てくるのは無知な政治家だけではない。著名な経済学者も多数登場する。

ソ連崩壊後の)改革のスピードについては経済学者の間でも意見が割れていた。ある人々は「ショック療法」と呼ばれる急激な市場経済導入を主張した。たとえばアンドレイ・シュライファー、スタンレー・フィッシャー、ローレンス・サマーズ、ジェフリー・サックスなどで、ハーバード大学の経済学者が中心だった。

そして、最終的には、共産主義の復活を阻止しなければならないというイデオロギーやサックスらのいるIMFの意向もあり次のような状況になった。

ローレンス・サマーズもこう述べている。「経済学者の意見が一致することはないとよく言われるが、旧ソ連・東欧諸国に対する助言では驚くほどの一致が見られた」

彼らの主張は取り入れられ、結果的にロシアは暗黒時代に陥った。一人あたりGDPは30%低下し、2%だった貧困率が40%を超え、平均寿命も5歳以上縮まった。彼らは「長期的には」急激な改革の方が良い結果をもたらすと主張していたが、ロシア人男性の平均寿命は現在もなお改革前の水準に戻っていないそうだ。

私もソ連崩壊後のロシアの状況は聞き知っていたが、それはある程度は国の崩壊に伴う必然だと思い込んでいた。しかし、実際にはそうではなかったようだ。ポーランドチェコのように、国内の抵抗があり改革のスピードがゆるやかに行われた国では、そのようなことはまったく起きなかったのだ。

今、まさに日本でも財政再建のために消費税再増税するのか、景気悪化を考慮し取りやめるか、という議論が盛り上がっている。日本のほどんどの経済学者は消費税に賛成の立場に立っている(震災時でさえ増税を主張していたのだから、当然だろう)。

その中には、業績もある正統な経済学者も多くいる。「経済学者の意見が一致することはないとよく言われるが、消費税に対する助言では驚くほどの一致が見られた」そして、結果的に日本は暗黒時代に……などということは勘弁願いたいものであるが。

経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策

経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策