どうも今日はアトムの誕生日だったらしい。だんだん僕らの21世紀は壊されていくのです。
小松左京「継ぐのは誰か?」読了。実のところ小松左京は大好きな作家で中学校時代にはまっていた時期があった……はずなのだが、家に置かれていたのが短編集ばかりだったこともあって、首都消失や本作など代表作と呼ばれている長編はぜんぜん読んだことがなかったりするのです。というわけで、今ごろになって読み漁ったりしてみている。ちょうどハルキ文庫からの復刊ラッシュが行われ、入手もしやすくなっているし(数年前なら古本屋に必ず並んでいたんだけど)。
何冊か読んで思うことは、小松左京という人は短編向きの人なんだなあという事。短編だと大ネタをひとつぶちかまして後はしみじみと終わるので結果的に無駄のない話運びになるのだが、長編になると「愛」やら「家族」やらとどうでもいいことを言い出してしまったり、脈絡なくベッドシーンが始まったりして何ともいただけない。科学者とは何ぞやとかそれ以外の部分はまとまっているのに、無理に文学的な高尚っぽいものを書き加えようとして粗が出てしまっている気がする。
それはさておき、「果てしなき流れの果てに」は、地に足が付いていないストーリーということもあってか大風呂敷広げるだけ広げて「愛」とか「家族」とかで締めてしまう軟弱ぶりだったが、「継ぐのは誰か?」の方は、「新人類」という存在をしっかりと書ききっているのがすばらしい。社会派科学ネタではかないませんな。
以下、時事ネタ。
ちまたでは田口ランディの盗作騒動が話題になっていたけど、あの内容で盗作呼ばわりされるなら世の中盗作だらけだわいと思ってしまう。むしろ問題点は、ネタを聞いた人や引用元に仁義を通さなかったという点につきるでしょう。一言「ネタに使わしてね」と言えば済む話。普段はエッセイ中心だからそういうところに気が回らなかったのだろうか。
まあ個人的には、田口ランディはエッセイストとしては一流でも小説家としてはどうかと思うのでどうでもいいっちゃいいんだが(対談とか読む限り、どうも小説というメディアを理解していない気がするし)。ただ、作家にとってはやりにくい時代になってきたのかも。自分ではオリジナルのつもりでも「〜のパクリだ」って言われる可能性は常にあるわけで。
ねたぶくろに「経済の根っ子」を追加。クルーグマン教授の経済入門の序文から引っ張ってきた文章。お堅い理系分野の人間(数学とか物理とか工学とか)にとって経済学と心理学ほど胡散臭いと思われている学問はないわけだけど、この本のおかげで少なくとも経済学は結構マトモな理系学問なんだという認識に至ることができました。タイトルがいまいちなのでそのうち変えるかも。