「私立探偵 濱マイク #08 時よとまれ、君は美しい」を視聴。「逆噴射家族」の石井聰亙監督の回なので期待してみてみた。変なことをやろうとしているのはわかるのだが、あまりにもアザとい脚本にうんざり。それにしても、なんでこんなに違和感があるんだろ。今回の話はどうも濱マイクが存在してる世界では成立しない気がする。



その後、何となく「ワンダフル」なんて見ていたら「現在のサンタクロースのイメージを決めたのはコカコーラのCM」という事実を知る。それまでは妖精やら単なる爺やらで固まったイメージはなかったのだそうだ。国際企業コカ・コーラの力、恐るべし。

スラッシュドットでフォントの著作権の話題で盛り上がっていた。で、いろいろ調べて見たのだが結構難しいことになってますな。
フォントの字体というの一見しただけで著作権の適応範囲になりそうなのだが、そこで引かれている判例のように著作権の適応外。他での話と合わせると、いろいろ難癖を付けてはいるものの「著作権で保護したいのはやまやまなんだけど、そうすると文字が印刷されたすべてのものに新たな著作権が発生して非常にまずい。だからだめぴょん」というのが本音といったところか。そんなこと許されるのかという気持ちもあろうかと思うが、著作権法の総則には以下のように書いてある。

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。
読んでのとおり著作権は(特許も同様だが)「作者の尊厳や権利等を守るため」ではなく「文化の発展に寄与する」ことを目的としている。文化の発展と書くとすばらしいことのように思えるが要するに「市場を発展させるため」である。だから、市場の発展が阻害される書体に著作権適用が駄目というのは適切な判決だと言える。
とはいえ、書体に関して全く権利保護が出来ないと(小さいけれど)書体市場の発展は阻害されてしまうので何らかの形で保護はされるべきだろう。
フォントの権利に関してはこのページが詳しい。このことに関しては日本タイポグラフィ協会で望ましいタイプフェイス法的保護のあり方というものを出しているのでこの方向で決着がつくものと思われるが現状では法的根拠はない。
ソフトウェアでよく付いてくる使用許諾契約に関してはこちらが詳しい。スラッシュドットで一人息巻いてる人が言うようにソフトウェアの権利は著作権によっているが、フォントは著作物ではないのでフォントまでは権利が及ばないわけというので正しいようだ(ただ、あの書き込み人は口が悪すぎる)。
世の中では権利、権利とうるさいが私は著作権法特許法に関しては「保護してもらってる」という感覚が強いので、度を越えて強行に権利を主張するのは好まない。だって前述の通り、これらの権利は市場発展の目的に付随して付いてきたなんだもの。
とはいえ、完全な複製まで許されるとはもちろん思ってない。しかし、コンピュータの発展は、少なくとも著作権に関してはこの点においても難しい状況を生んでいると思う。ひとつは「複製が簡単に作れる」こと、もうひとつは「自動生成」に関すること。
前者の一番困った点は、なんせ法律上はすでに取り締まれるのに規模の拡大とP2Pという機構により「事実上取り締まり不可能」なこと。私の基本的立場は「個人の違法コピーには目をつぶれ」だったのだが、この考えの根底には「複製は素人には敷居が高いから多くの人に広がらない」ことと「取り締まるコストを考えると取り締まらない方がまし」ということが念頭にあったのだが、困ったことに前者だけが変わってしまった。識者には「CDレンタルも結局は市場の拡大に繋がった。今回もそうなるだろう」という人もいるが、完全な複製が手間もなしに手に入る状況になっても成り立つかは怪しいと思う。
実は私はひとつだけ解決作を持っていて、それは期間契約制だったりする。ようするに違法的な手段によってネットで探してダウンロードして使用するより、ローカルにはファイルを持たず、好きな時に欲しい情報をサーバを介して使用するというものだ。ダウンロードするのと何が違うのかという話もあるが、自分がファイルを持つ以上、それらのデータは自分で管理しなければならない。そのコストは結構馬鹿にならない。実際、今現在、私はほとんどの辞書をネット上のもので済ませている。私は辞書や辞典のようなもので良いものがあり、それなりの値段ならば金を払ってもいいと思っている(そういえば、とうとうbabylonと契約しました)。
ただし、私はこれが最善の策だとは全く思っていない。たぶん今得られているだけの利益は得られないだろう。しかし、少なくとも今のような一曲いくらという方式はネット上のコンテンツと張り合わなければならない音楽や映画などでは成立し得ないわけだから、何らかの形に移行せざるをえない。
で、後者は何かというと自動生成によって生まれたものにも著作権を認めるのかというもの。「シェークスピアをサルに書かせる」という確率論のネタもあるが、あれは実際にはあまりにも確率が小さいので成立する話である。(このネタに関しては、RFC2795日本語訳)を参照のこと)
しかし、短歌のようなものであれば自動生成も可能だろう。日本語は文字数が多いのですべてを計算すると大変なことになるが、日常使われる単語に限るなどすればいいし、別に一回だけ生成すればいいわけだから十年かかろうが二十年かかろうが気にすまい。こうやって通常考えられる短歌をすべて見つけて、これをネット上で公開する。すると既存のものを除いた短歌はすべて著作権の対象となる。短歌という文化は完全に幕を下ろすことになるかもしれない。
こういった難しい問題をどう解決するしていくのか。文化的なものは趣味の範囲でね!っていう世界でもいいのか?