酒井邦嘉著「言語の脳科学」を読む。かなり攻撃的な本だけど、これお薦め。一見すごく偏っているように読めるけど、ちゃんと読めば事実の検証にすごく慎重な人であることがわかるはずだ。
チョムスキーマンセーで数章かけていろんな人を批判しているので、なんだかなあと思ってしまうが、著者が物理学出身であることやチョムスキーがどういう人なのかわかっていればその理由も理解できる。チョムスキーは「言語学に科学的アプローチを持ち込んだ」人なのだ。
本文にも書いてあるとおり、人間に関わる学問は哲学、歴史学、文学、心理学といった文系学問として括られる(もちろん心理学はその歴史の中で経験主義などを経て徐々に科学的アプローチを取るようになってきたが)。言語学はというとチョムスキー以前は完全に文系学問だった。ここでいう科学とは辞書を読めばわかるが「自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を目指す合理的知識の体系または探究の営み」を意図する。
それ以前の言語学はこの国にはこんな言語があったよとか、ある言語では雪を表す言葉が何種類あるとか具体的な現象を主に扱っていた。チョムスキーによって生成文法というモデルが導入されることによって言語学は法則を導くという科学的アプローチを取ることが可能となった。ただ、チョムスキーの論は仮説の域を出るものではないし(いまだに言語とは何なのか誰もわかっていないのだから当たり前だが)、非常に斬新なものだったので他の言語学者だけでなく情報科学の分野からも多くの批判があった。チョムスキーの言語理論は、地動説や進化論が唱えられた当時と同じ状況におかれているといたわけである。
私は、実のところチョムスキーの言語理論に関しては全く詳しくない。簡単にしか知らないのでこのページの記述は間違っているかもしれないので注意。いくつかのページを読む限り、チョムスキーの理論は現在の言語学の大勢をしめているもののかなりねじまがった方向に進んでいるらしい。とはいえ、その考え方は現在の言語学の基礎となっており、決して否定されるようなものではないようだ。
この本は「言語の脳科学」と書いておきながら言語学認知心理学自然言語処理人工知能脳科学と横断的に扱っているが、ようするにこれらの分野で抱えている問題の根っこは同じなのである。私も今人工知能っぽいことを研究しているから、その手の本を読み漁っていたのだが、結局人工知能から自然言語処理、そして言語学脳科学というように移っていった。真面目に人間の知能のことを考えている人は、現状の分野区分のうちのどこかひとつに留まっていては無理だということをわかっているはずだ。そして今は脳科学こそが次のステップへのカギになると私も思う。
人工生命の分野では有名な星野力先生は学生に向けて「人工知能を作るなんて志すな。今は得られた技術を利用する時間だ」と身もふたもないことを書いていたが「人工知能を作りたければ、今は脳科学をやれ」というべきではなかったかと思わんでもない。



中身の話に移る。この本を読んで斬新だったのは「言語を科学にするうえでは、文法を対象にすべきだ」という点だ。その主張には肯くしかない。確かに単語と意味の関係に普遍性はない、文法構築のプロセスこそ科学の対象になるだろう。ただ、著者の意見に矛盾するわけではないが、意味などのデータ構造だって科学の対象になるじゃんと取り合えず突っ込みを入れておく。プログラム=アルゴリズム+データ構造という考え方は脳でも成り立つでしょ。
この本の特徴はチョムスキーを持ち出すだけあって、文法の生得説を取るところである。ここがチョムスキーが他の研究者から批判される一番大きな点だし、本当にそうなのかは今後の動向に左右される部分ではあるのだが、実は私はこの説に賛成なのである。それは、ロボットの分野で川人光男という方が人間の真似をするロボットの研究をしているのだが、その研究の中で人間は動作するにあたり「内部モデル」を持っていて成長する中で内部モデルのパラメータだけを学習しているらしいということがわかってきているからである。著者が本の中で生得説の根拠とする事実、学習にはデータが膨大にいること(特に間違っていることを理解するためには反例データが膨大に必要になるため学習だけでは難しい気がする)、これらから考えても進化の過程で何らかのモデルが遺伝子に記憶され、パラメータは生まれた後に学習により獲得するという方が納得がいく。
現在、理論的に脳を扱う研究は行き詰まった感があるが、脳科学を通して得られた事実をもとに、不毛な議論をする余地を減らし、MPEG-7やSemantic Webみたいな無駄なものに労力を使わず真っ当な研究へ向かって欲しいと私は望んでいる。