ケン・スミス著 山形浩生訳「誰も教えてくれない聖書の読み方」読み終わる。単なるちゃちゃじゃないかという意見もあろうが、別に信徒でもない門外漢からすると「旧約聖書には神は複数いると書いている」とか「神はわがままで殺戮大好き」なんていうのはむしろ自然に感じられる。キリスト教だって過去からの連続性の中で生まれてきたものだし、神さまのわがままさなんてゼウスとそっくりだ。ユダヤ教の時代の意識からいえばユダヤ教唯一神ってのは沢山いる神のなかのユダヤ人を庇護する神という感覚はそれほど不思議でもあるまい。また、仏教がバラモン教に対するアンチテーゼから始まったのと同様に、キリストの主張だってユダヤ教のアンチテーゼから生まれているように思える。そう考えると、旧約と新訳で大きく印象が違うのも当然のように思える。
前々から思っていたのだが、宗教というのは時代を経るにつれ楽になっていく傾向にあると思う。悟りを開く方法が苦行から念仏へと移っていったり、神の数がだんだん減っていくのがその例だ。やはり多くの人に受け入れられるためにはわかりやすさや楽ちんさが必要で、宗教においてもそれは同じなんだと思う次第。
あとがきで山形浩生も書いていたが、なんで聖書を改竄しなかたんだろう。ほんとうに不思議。実のところ誰も聖書なんて読んでなかったんじゃないか。えらそうにしてる神学者たちも実は拾い読みしてたとか。確かに理系の大学生でも大半の人は企画書なんて読まないしな(爆)。この本でも、「聖書に書かれてない文章を引用する」というのが使徒たちの常套手段になっていたっぽいから嘘とも言い切れないよなあ。誰か合理的な説明プリーズ。



某授業で作ったJavaScriptの解説書庫に投げ込んでおく。適当に利用してください(いくつか間違いもあったので修正しました)。

そういえば、J2SDK1.4.1が出てたんだけどWindows2000に入れようとしたら「サービスパック2以降を適用する必要があります」とかなんとか言われてしまった。こわごわと最近出たばっかりのサービスパック3を入れたけど、何とか問題なく起動しました。Sunも無茶なこと言うなよな(^^;
Mozillaも当分1.0を使うつもりだったんだけどせっかくJavaも新しくなったしということでMozilla1.0.1を入れてみる。どうでもいいがいい加減プロファイル移行用のプログラム用意してくれないかなあ。めんどくさくてたまらん。