イラク機密文書、院生論文引き写し》インターネット普及による一番の変化は、政府の愚かさが隠し通せなくなったことだと思う。



先輩曰く、「訂正の大半がルビの統一や統計数字の見直しだけど、初歩的なミスも目立つ、とある。で、こういうことは校正段階でしておくべき事なのはもちろんだけれど、『スタッフの大幅変更&新規視点の導入』を推定するのは強引な読み方だと思う」、「先輩連中が奮闘したというよりは、仕事の効率化ができていなくて校正が間に合わなかった方が実状にあっていると思う。大体山川の教科書は外部の(つまり大学の)研究者が執筆しているので、社内の体質云々と教科書の質は関連性が薄い」とのこと。
確かに、教科書の製作を雑誌類と同様に考えてたのは私のミスです。おっしゃる通り。その点に関しては見解を撤回します。ネットで調べる限り、今回全面改訂が行われ、右翼が騒ぐ程度には左よりの記述が増えていたのは間違いないようですが。まあ、訂正されたわけだから良しとすべきなんでしょうなあ。
とはいえ、歴史学という分野の脆さを垣間見たような気分ではあるのですが……。

論争に絡んで「史的システム以下略」を読み直せと言われてので、仕方なく読み直し始めたのだが、即座に悪い予感がし始めたので検索。
うぉー、やっぱりウォーラーステインマルクス経済学者のなれの果てではないですか。マルクス曰く「労働者は資本家に搾取されておる」。ウォーラーステイン曰く「後進国は先進国に搾取されておる」。確かに言ってることは同じだなあ。どうりでトンデモだと感じたわけだ。近代経済学と相容れるわけがない。
なんか読む気が失せてきたんだけど、読まなきゃだめかなあ……。
どうでもいいけど、「史的システム以下略」のはじめに述べられる資本主義の定義からしておかしい。池田信夫と同じで核心部分をはっきりと書かないので何をいいたいのかわかりにくいのだが、ウォーラーステインにとっての資本主義とは資本を増やすために行われる投資活動にあるらしい。で、この定義だと来年の稲のために今年稲を撒く行為だって資本主義だし、ソビエトの五カ年計画だって資本主義なのだから直前で否定した「ネアンデルタール人の時代以来のあらゆる歴史的システムは資本主義的であった、ということになってしまう」という文面と矛盾する。
しかも、直後に「よりいっそうの資本を得ようとして資本を投下するような例は、むろんいつの時代にもありえた。しかし、歴史上ある時点に至るまでは、そういう人びとがみごとに目的に達することはなかった」と効率が悪いながらも資本主義的な行動はあったと自分で言ってしまっている(もちろん、この文面は私のような批判に対するフォローのつもりなんだろうが、出来の悪い言い訳にしかなってない)。
マルクス経済学の基本は、たぶん「すべての人には同じ量の資産が与えられるべき」という思想にあるのだろうと思っている(詳しく調べる気にもならないので、間違ってるなら誰か指摘してください)。本来は神様が分与してくれればいいんだけど、できないから国家がという話になって共産主義国みたくなってしまったのだろう。でも国家が運営する資産の分配はうまくいかないし(国家が各個人の好みまで考慮することは物理的に不可能)、働くインセンティブもない(働いても働かなくとも同じ賃金がもらえるなら働かない方を選ぶに決まってる)ので失敗するのは目に見えてる。で、国家と神(^^;に代わるリソース配分の手段があるかといえばない以上、マルクス経済学は破綻せざるを得ない。
で、思うのだが、資本主義以外に何かあると考えること自体が間違いだったんじゃなかろうか。そもそも資本主義しか存在しないのにマルクスは「他の世界も考えられる」と主張してみた。でも、やっぱりそんなものは存在しなかったと。私はマルクス自体が悪いとは思わない。少なくともマルクスの言ってることが正しそうにみえた時代は存在した。でも、今の時点で考えれば、マルクスの考え方が間違っていたことを示すのは難しくない。この現代に至ってもマルクス経済学を信奉するということは、物事をまじめに考えていない証拠だし、まともな経済学に対する侮辱行為ですらあると私なんぞは思ってしまうのだけど、どんなもんだろうか。