ファイル整理の一環で古い絵とか手抜きの絵とかをギャラリーに追加。これで、小説も絵も手持ちは出尽くしたかな?



新藤健一著「崩壊する映像神話」という本を読む。なんとなく的の外れたタイトルのような気がするが、ヤラセ番組、ウソ報道について書かれた本である。共同通信のカメラジャーナリストである著者の経験を交えながら、ナチスから911テロまでのウソ報道について解説するというもの。細かいところでジャーナリスト臭の漂う部分があって異論がいくつかあるが、まとまっていて読みやすい。
マスコミにヤラセが多いなんて知ってるよと思っていたが、報道写真の切り貼りがここまで日常化してるというのには呆れる。人には改革しろ改革しろといっておきながら、記者クラブひとつ改革できないのがマスコミの実状なんだよなー。
私は、ヤラセのあるなしが必ずしも善悪とは一致しないと思っている。何が言いたいかというと、ヤラセやウソにもセンスの良し悪しがあるということだ。良い例として私は「さんまのからくりTV」を挙げたい。この番組には、「からくりビデオレター」という離れて住んでいる家族に向けてメッセージを送る素人参加型のコーナーがある。素人の思いがけない発言を楽しむ企画ではあるが、実際には素人を急に映しても面白い言葉がそうやすやすとでてくるわけがない。だからといって脚本を用意すれば素人の面白さが台無しになる。実際にはどうしているかというと、前日に一度会って「明日までに面白い台詞を考えておいてください」と言っておくのだそうである。そうすると、素人は一世一代の晴舞台に挑むべく一生懸命考えることになる。こうしてあのような面白い映像が出来上がるわけだ。放送する時には即座に撮影しているように見せかけているわけだから、これも一種のヤラセなのは間違いない。しかし、プロのテレビマンの巧みを感じさせるうまい手法だと思う。
一方のセンスの悪い例には枚挙に暇がないが、ここではヤラセ以前の例について挙げる。これは、オウム事件被害者の命日に家族が墓参りに行こうとするのを某局のスタッフが追跡。途中で「申し訳ないんですが、これ以上はついてこないでください」と家族側から言われたにも関わらず追跡を続行。その一部始終を隠し撮りしていたというものだ。このこと自身も問題ではあるが、それ以上に呆れるのが「家族から苦情を言われた部分も含めて放送した」ことである。実は前述の内容は放送後判明したことではなく、放送内容そのものなのである(追跡を続行のときに「しかし、我々は追跡を続けた」というナレーションすら入った)。もちろん、直後から苦情が殺到し番組内で謝罪が行われる羽目になったが、編集段階で誰か気付けよと言いたくなる。倫理以前にプロとしてダメすぎである。
テレビが客商売である以上、ヤラセやウソは決して許されないものではないと私は思う。むしろ、本当に面白く、より良い番組になるならば積極的にやるべきだし、WWFみたいにヤラセ自体が売りになるレベルにまでもっていければ大したものである。所詮メディアは幻想の塊だ。でも、どうせ同じ幻想なら質の高い幻想を見せてほしい。