映画「黙秘」を見る。スティーブン・キングが原作を書いたとは思えないほど地味な話だが、演出、演技、カメラワークのどれをとっても一級品である。私はこの手の感動ものの映画はめったに誉めないのだが、この映画は本当にすばらしい。ある側面では過去に見た映画の中で最も良いとさえ思う。映画好きならば一度見ておくことをお薦めする。



書き忘れていたが、この間、アガサクリスティー原作の映画「情婦」をテレビで放送していたので見てみた。白黒映画でも面白いものはやっぱり面白い。作家が作家なので例によって落ちでどんでん返しが起こるのだけれど、期待を裏切らない納得のいく落ち方をしてくれる。個人的には、過去に見た法廷ものの中では「12人の怒れる男」の次くらいかな。

労働価値説に対する反論をどうすればいいのか考えているのだが、頭の中をいったりきたりしている。「有名人のサイン」を反例として挙げたが、その前々日の冗談のように本当に「搾取である」と考えれば別に矛盾があるわけではない(もちろん、納得はできないが)。そうすると、労働価値説って全否定できない気がしてきた。現実とどんなに折り合いがわるかろうと、「余剰は搾取」と言われてしまえば反論のしようがないもんなあ。
思ったのだが、労働価値説には需要というものが考慮されていないのだから、そこから攻めてみるのがいいんじゃなかろうか。すなわち、労働価値説に従えば、たとえ誰も必要としないものを作ったとしても「時間がかかり難易度が高い」ものは「価値が高い」ことになる。この時の価値評価には他者の選好は関係ない。もし労働価値説が正しいとするならば、労働者は時間がかかり難易度の高い品物を作りつづけることになるはずである。例えば、自分以外には理解が不可能な芸術作品を一生懸命、全身全霊をかけて作りはじめでもするのだろう。そんな世界が幸せとは思えないから……別にマルクス主義者はそういう状態が幸せだと思ってるかもしれないしなあ。これでも否定は無理か。
……てゆうか、もうどうでもいいや。たとえ否定できなくともマルクス主義者があほだということはもはや疑う余地はないし。