マイケル・ムーアの映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」を見る。
私も多くの日本人同様、アメリカという国には、憧れと苦々しさのという相反する思いを持っているものの一人だが、マイケル・ムーアという存在はアメリカそのものが出ているように感じる。
アメリカという国のすごさというか面白さは、国防省が暗号化技術の取り締まりを行おうとした時に逆に世界にばら撒く人間が出てきたように「ある極端」が発生すると必ず「逆の極端」を行う勢力が現れるという点にある。日本人から見ると、マイケル・ムーアという人はちょっとやりすぎに見えるかもしれない。でも、彼はアメリカ的に適切でかつあるべき人物なのだ。
性の問題でもアメリカという国は大らかな印象があるが、一方ではがちがちの保守主義が蔓延している都市があったりする。自由を言いながらも差別は無くならない。アメリカという国は、良きも悪しきもやるだけやって調和をとるという文化を持っているのだろう。これは結果的に物事をすべて明るみに出すことになるし、経済学的に正しい効率の高めかたに繋がっている。なんでもかんでも表に出してしまうことを良しとしない日本人的感覚にはどうしても馴染めないところがあるし、私もそれでいいのかと言われればちょっと……と思わないでもないけれど、そういうなんでも開けっぴろげに議論し行動できるアメリカという国が非常に羨ましくも思えるのだ。