ネットの海は私の海。私の果てしない憧れよ。 by 素子



町山智浩アメリカ日記》にてイノセンスのお話。いままで、いろいろイノセンスの意図がどうたらという話がでていたけど、多分町山氏の解釈が正しいんだろうな。と書くと、まるで私が「悪しき押井マニア」の典型のように解釈、謎解きとしたがっているように思えるかもしれないけど、そういうわけではない。押井の映画が嫌いな人は、難解で解釈しなきゃわからないと言うがそれは勘違いだ。
前にも書いたと思うが、押井の映画は「念」や「思い」なのだ。だから、押井の念に共感できないとわけがわからないように感じる。だが、逆に共感できる人間にはするすると理解できる。別に難しさなんて何もない。
でも今作「イノセンス」はどうだったか。幸か不幸か私には理解できなかった。だから、作品を理解するために解釈しなければならない。本当に「押井の念」に共感できなかったからだけなのか。私の頭が悪すぎて意図を理解できないからなのか、押井の演出能力がダメすぎて理解できないのか。実は、前作の攻殻機動隊も理解できなかった。あの作品での監督の意図は「ネットだろうが現実だろうが、どうでもいいじゃん」って感じなのだと色々な文献などを読む限り思えるのだが、私はそうは思っていない(少なくともネットと現実は私には違って見える)ので「この映画は私にとって価値がない」と結論付けられたし、理解できないのも当然だと思った。そして今作「イノセンス」も相変わらず理解できなかったので、押井の言葉やいろんな人の論評を読んでいるのだが、町山氏の解釈が最も適切なように思える(解釈なんて百通りでも作れるというのはその通りだが、押井映画に関して言えば良い悪いは別としてすべてのシーンに同一のメッセージが込められていたりするので、まともな解釈は一通りしか出てこない)。で、町山氏の解釈が押井の意図だとすると、やはり「イノセンス」は私には意味のない映画だということになるわけだ。まぁ、これは仕方がない。押井は、そう思ってるんだもの。で、世間の人の多くはそうは思っていないんだ。ただ、それだけのことだ。