年金をシステム設計的に考える(2)

実時間的には一週間も経っていないのだが、Web時間で見るとずいぶんと間があいてしまったようで、すでにbewaad氏の連載は終りを迎えてしまっている

すでに話題に遅れつつあるような気もするが、そんなこと気にしてもしょうがないので粛々と進めるのである。

なぜ、目的分析が必要か

以前「オブジェクト指向分析なるものはクズ」と書いたのだが、その理由のひとつはこの目的分析がおろそかにされていることにある。ちなみに、本連載のタネ本である「コンサルタントになる人のはじめての業務分析」も目的分析に関しては甚だおろそかだと言わざるを得ない*1

なぜ、私がそこまで目的分析を重要視するのか。理由は簡単である。物事が進むにつれて、目的というものは忘れられがちだからである。目的がしっかり理解されていれば、国会議員の年金未納問題が議論の焦点となることなどなかっただろうし、テロリストを撲滅するためにイラクへ戦争に出かけるなどという馬鹿げたことも起こらなかったかもしれない。

また、目的と目標は違うということも意識しておく必要がある。目標は変えられるが、目的は変えられない*2。時には目的が現実的でなかったりするかもしれない。だが、それはそれで構わない。目的は進むべき方向を定めるために必要なだけだ。目的が非現実的ならば、方向は変えずに現実的なレベルでの目標を設定するだけの話である。

年金の目的分析の前に……

では、年金の目的分析に入りたい。

だが、年金は公的であろうと民間であろうと社会の制度のひとつであり、何をもって評価すべきかという制度そのものの目的を踏まえておくことが必要である。何に従って評価すべきかという観点は学者や学問分野によってもまちまちなのではないかと思うが、ここではあくまで経済という観点からのみ考えることにする。

実のところ経済学という学問に限ってもその評価基準は明確でないように思われるが、いくつかの文献にあたる限り、おおよそ下記の要素が重要であろうと思われる。

  • 成長:生産性を高める制度はよい制度である
  • 効率:パレート改善する制度はよい制度である
  • 分配:公平な分配に寄与する制度はよい制度である

ただし、この三つの目的は必ずしも同時に達成できるとは限らない。例えば、「スティグリッツ公共経済学」では、下記のように述べられている。

 残念なことに、そうしたパレート改善や準パレート改善の余地はかなりあるが、多くの支出計画においては効率性と公平性(非常に貧しい人への所得の移転)という目的の間にはトレードオフが存在する

これらの目的に従って評価することは難しい問題ではある。しかし、前述のようにこれは目的である。実現が困難だからと言って放棄してはいけない。今後、異なる年金制度を比較するうえでの評価基準として大切な役割をはたす。

とりあえず、ここではとある制度があった場合に、その目的は「成長・効率・分配」の向上にあるという点だけ確認し、次へ進むことにしよう。

年金の目的とは何か

さて、今度こそ本当の年金の目的である。

ただ、これ自体を調べるのは難しいことではない。例えば、国民年金のサイトには以下のように書いてある。

公的年金は、将来の経済社会がどのように変わろうとも、やがて必ず訪れる長い老後の収入確保を約束できる唯一のもの

公的年金が老後の収入を約束する唯一なものなのかどうかはとりあえず保留するが、年金の目的が「老後の収入確保」にあることは異論がないだろう。前置きは長かったが、実はこれで目的分析自体は終りである。

結論:目的は「老後の収入確保」ができること

でも、ちょっとまてよ?

だが、ここでそもそもの疑問がでてこないだろうか。

  • 老後の収入を確保することは「成長・効率・分配」の向上に繋がるの?
  • 老後の収入を確保する方法は年金制度以外にないの?

なんとも大問題である。目的分析がなぜ重要か、ひとつは前述の通り目的を見失わないためである。だがもうひとつ「そもそも、その目的って目的として妥当なの」ということを確認するためにも役に立つのだ。

次回は、目的分析で判明した「そもそもの目的の妥当性」について考えていくことにしたい。

*1:この本は、オブジェクト指向分析 or 業務分析を中心にした本だから省いたという言い分もあろうが、物事は始まりが肝心である。目的も理解せずに設計に入ろうなどもっての他だ

*2:だって目的だもの。そもそもそれを実現するために始めたのにそれが変わったらわけわかんないでしょ