異論・反論・ヨブトリューニヒト

あれっ、ブしか合ってない……は、さておき田中先生から「幸福の政治経済学」の書評のコメントに対するコメントへの反論へ再コメントがついた。

さすがに本職に楯突いたところで、勝ち目はなさそうなわけだが、とはいえ、その再コメントを読んでも今のところ納得できていないので、玉砕覚悟で再々反論を行ってみたい*1

まず、ひとつ目。

1.幸福要素にあって従来の効用概念では扱われなかった概念(例えば、周囲よりも自分のほうが幸せにみえることが幸福の条件)を「財の組み合わせ」という枠組みに入れるのには無理がある

これに対し田中先生はこのように反論する。

1 の周囲の人より自分をよくみせる話ですが、これはかなり研究されている話でして、効用関数の中に他者の賃金水準や所得をいれた分析なんかわりと昔からよくみかけます。フライたちの本は32頁に紹介されてますね。

この反論は、部分的には適切であると思う。周囲よりも自分の方が幸せに見えることが効用に繋がるという研究は実際にあり、決して無名なものではない(プレゼンテーション効果など)。

ただ、どう考えればミクロ経済学の選好効用や無差別曲線の考えになじむのか理解できない。

  • リンゴをもうひとつ買うよりもみかんをもうひとつ買うほうが効用が高い → OK
  • リンゴをもうひとつ買うよりも1時間の余暇を得たほうが効用が高い → OK
  • リンゴをもうひとつ買うよりも友人Aよりも所得が高いほうが効用が高い → あれっ?

周りより所得が高いことは他の何かを諦めて得たものではないわけで、本当にこのことをミクロ経済学的な効用の一軸として含めていいものなのかどうか疑問である。そもそも、他者の賃金水準や所得をいれた効用関数に選好効用によるミクロ的基礎付けはあるのだろうか。このような効用関数は、正確には幸福関数のことなのではないか。

二つ目

2.実証研究においてはほとんどの場合、理論的な効用ではなく定量的に扱える狭義の効用のみを扱い、教科書でもこの狭義の効用に基づく結果を例として掲載している(例えば、1桁台のインフレ率は問題にならない、成長の重要性など)

これに対しては次のような反論がついた。

2 実証分析でも1に関してフライたちが紹介したデューゼンベリーの消費関数をめぐる論争なども含めてその前後から行われていると思います。

これは私の反論に対する回答としては適切ではないと思う。私の主張は、たとえ他者の賃金水準や所得をいれた効用関数に基づいた研究が行われていたり可能であったとしても、教科書に掲載されている例はそれを反映していないではないか、というものである*2

例えば、通常、経済学の教科書では1〜5%程度のインフレ率は問題にならないと書かれているが、幸福の経済学によるとインフレ率の水準と幸福に有意な関係はないが、インフレ率の増加は幸福の低下につながっているという結論が出されている。もし教科書的な考えだけを考慮するならば、過程はどうあれ1〜5%程度のインフレ率に抑えればいいという主張になるだろう。しかし、幸福の経済学で得られた知見がある場合は、無自覚にインフレ率を上げるのではなく、失業率の改善とのトレードオフを考慮するという条件付きでなければ支持できなくなる。

三つ目

3.幸福概念は効用概念のスーパーセットであり、効用とはみなせない雑多な要素が含まれるかもしれない。場合によっては、その雑多な要素が重要な意味を持ってくる場合も否定できない

この意見に対しては、以下のような反論がついた。

3 幸福概念は効用概念のスーパーセットではない、と思います。実数空間があって幸福集合?を定義したり、効用(選択)集合を定義しているのだと思います。しかもフライたちの本では幸福(広義効用=選択)集合?は、効用概念の旧来からの内実であって、現在の効用概念よりも豊か(情報量が多い)とだけいっているにすぎません。

これには全く同意できない。二つの側面から反論する。

まず、実証としてみた場合、本書において測定された自己申告による幸福の分析は従来の効用概念と同様に信頼性や有効性といった点は考慮しているが、選択効用の基礎に基づいてなされたものではない。すなわち本書の分析結果が選択効用によっていると言うことはできない。

一方、本書には所得と幸福の関係に関する分析結果が掲載されているが、所得は(貨幣愛を除けば)どれだけ多くの財・サービスを手に入れられるかという基準であり選択効用の源泉である。このことから、本書の幸福の分析は選択効用を含むものであることは言えるが、それが選択効用そのものであるとは言えない。

次に、理論としてみた場合、31ページに「個人の選好と個人の幸福が互いに独立したものであり、相違する場合も多いことを示す証拠が次々と見つかっている」、33ページでは「『実体的効用(ここでは主観的幸福)』と『選好』の食い違いは経済学者が指摘している範囲を超えている」と書かれており、選択効用ではカバーできない様々な例が具体的に解説されている*3。このことからも、幸福概念は効用概念と同様であると言うことはできないし、少なくとも著者がそのような主張をしているようには理解できない。

*1:単なる私の勘違いならそれでいいわけですけれど

*2:これは、私がその前に書いた「経済学の教科書に書かれている記述も割り引いて考える必要があるなぁ、と思ってしまいました」というコメントを意識してのものである

*3:ただし、ボランティアのように選択効用でも解釈可能な要素も含まれてはいる