再反論というか釈明というか

長くなってきたので、再度エントリにて反論する(このエントリの内容は、2005/05/20コメント欄の韓流好きなリフレ派様の議論の続きです)。

1. 反経済学感情について

まず、フライたちの本では(幸福修正された)犠牲率が1.7ですね。これはインフレを低下させるのに必要とされる失業が、ルーカスの新古典派マクロは1をかなり大きく下回ると考えている、例えば彼らは金融政策の信認さえしっかりして短期でさっさとしあげれば最善でいえばインフレ退治だけ実現できると考えてます=失業のコストなし。ニューケインジアンはそれよりも(硬直性を加味するので)犠牲率は高めに評価します。さらにドマクロ(70年代以前ケインジアン)では犠牲率は1.しかし「教科書」であるブランシャールはアメリカの経験をみると1〜1.33とドマクロ以上(もちろんニューケインジアン新古典派マクロ以上)にインフレ退治は失業のコストを伴うと指摘しています。つまり教科書レベルでも従来の仮説以上に犠牲率が大きいことを書いています。
(中略)
むしろ幸福度を加味すると、マイルドインフレの信認をきちんと伴ったリフレ政策の優位性がますます確かめられるというのが私の見積もりです。

「まず、フライたちの本では」〜「マイルドインフレの信認をきちんと伴ったリフレ政策の優位性がますます確かめられるというのが私の見積もりです」の部分に関しては完全に同意。というよりも、そもそも幸福の経済学ではリフレ政策に優位性がなくなるとか、インフレ率の上昇に必要となる失業の改善率が大きくなるとか、そのような主張はしていないのである*1

この点に関しては、やはり誤解というか、私の主張と韓流様の論点がずれている気がしている。私の主たる主張はインフレ率と失業率のトレードオフの関係にはなく*2、「インフレ率の幸福に与える影響は、既存の経済学で言われているより大きい」ということ以上のことを言うつもりはない(韓流様の意見に従うならば、これに加え「失業の幸福に与える影響は、既存の経済学で言われているより大きい」。ただし、この二つの命題は独立である)。

なぜ、このことを私が重要視しているかと言うと、国民ひとりひとりの視点から見た場合、インフレ率と失業率の間にトレードオフがあるかどうかは重要ではないからだ。国民ひとりひとりは「インフレ率と自分の幸福」「失業率と自分の幸福」を独立して評価している(に違いない)。

インフレ率に対するGDPの犠牲率と失業率に対するGDPの犠牲率を(X, Y)とする。この場合、インフレ率と失業率のトレードオフの割合が同じであったとしても、(0, 10)と(10,20)では国民の行動には違いが出る。もしインフレ率に対するGDPの犠牲率が0ならば、国民はインフレ政策に反対することはない。しかし、インフレ率に対するGDPの犠牲が10あるならば、失業率とのトレードオフを理解していない人々は必ずインフレ政策に反対するだろう。

だからこそ「この結果は現在の反経済学感情を説明するうえで非常に興味深い」のである。「インフレは経済に大きな害をもたらす」であるとか「国家対国家は貿易戦争をしている」というような経済学の視点からは不適切な理解も、「不安定感」や「愛国心」といった幸福概念を考慮することで実はある種の合理的な行動として説明することができる(かもしれない)。例えば、GDPの大部分は国内の生産の占められるにも関わらず貿易は非常に重視されるが、これは「他国に対する自国の優位性」が幸福度の上昇に大きく寄与していることが原因かもしれない*3

2. 幸福と効用の関係について

たぶん日本語の問題だと思うのですが
<在の状態からリンゴが1個増えた状態と現在の状態からみかんが1個増えた状態のどちらが効用が高いかという話>
というのは若干誤解を招くのではないかと思います。ある財と別の財の限界効用の高い(小さい)というのは、これらの財の効用関数の形状が異なれば、「高い」(小さい)という関係は変化してしまいます。つまりこの表現ですと効用の可測性を前提にしているように読めてしまうのです。

うーむ、この文章ってAさんの効用関数をU=U(X, Y)としたとき、U(X+1, Y) < U(X, Y+1)と書いているだけだから、効用関数の形状は関係ないような気がするのですが……*4

一番わかりやすい?のは他人の所得水準などの変化がシフトパラメーターとして無差別曲線のシフトを促すと考えたらいいと思います。たとえば、古典的な研究としては、ライベンシュタインのバンドワゴン効果スノッブ効果などはそのような研究だと理解してます。
たとえば他人の所得水準が上昇し、それによってその人のある財(たとえばダイヤモンド)への需要が偏向的に増加したとする。これに刺激されて、いま(時計3、ダイヤモンド2)を予算線上と無差別曲線の接点上で選択していた田中が、ほかの人がダイヤを買うならば、と同じ予算線上にある(時計2、ダイヤモンド3)をより選好する(このとき田中の無差別曲線は左下方にシフトしてます)ようなケースを考えることができるように思えます。(注)垂直軸に時計、水平軸にダイヤ。

あれっ、財・サービスと同様に軸に加えるという解釈はしないんですか?
バンドワゴン効果ですか。経済学とは全く関係ないところで聞いた覚えがあるなぁ。うーむ、「既存の経済学」であることは疑いないですが、ザ・選好効用理論として持ち出されるのは違和感がある気が……

それと、やはりバンドワゴン効果と幸福の政治経済学における「周囲よりも所得が高い」ことの効果の間には隔たりがあるのではないだろうか。幸福の政治経済学の解釈では「周囲よりも所得が高い」ことはそれ自体が効用(=幸福)にプラスであるとしている。すなわち、幸福の経済学の結論を正しいと仮定し理論を作るとするならば「所得階層が上がると効用(=幸福)にプラスの効果を与える」という外部性を仮定することとなる。

しかしながら、バンドワゴン効果の場合、効用関数が変化することによって選好は変わるが、効用(=幸福)が増加になるかどうかは不明である。また、1財のケースを考えると、効用関数は変化しようがないわけだが、効用(=幸福)は変わらない。だが、1財の世界でも所得の分散は存在しうるわけだがから、外部性の仮定と矛盾する。やはり幸福の政治経済学を選好効用だけで説明するには無理があるのではないだろうか。

*1:反論の内容はともあれ、各学派ごとの犠牲率の対比は勉強になります。ありがたや

*2:そもそも、幸福の経済学の調査結果だけからはインフレ率と失業率にトレードオフがあるかどうかはわからない。「失業率なりなんなり」と書いたように、幸福の経済学という視点からはインフレ率の犠牲を何でカバーできるかに関しては何も言うことができない。幸福に基づく経済学は漏れがないが、その一方理論もないわけで決して通常の経済学の否定には繋がらない。むしろ、通常の経済学と幸福の経済学の差分を取ることによって、プライスレスな部分の定量的な扱いが可能になるものと考えている

*3:例えのための仮説です。幸福の経済学にそう書かれているわけではないので、誤解なきよう

*4:序数的効用らしい文章表現のテンプレートを募集中(←おいおい)