フラッシュバック速水日銀

某若田部先生の新著で、新日銀法下で始まった速水日銀の五年間を追ったノンフィクション二冊が取り上げられていたのを見て、そういえば読んでなかったことに気付いたので速攻買ってきて読んでみた。ちなみにその二冊とは以下のものである。

私自身経済学を学び始めたのは2001年以降のことであり、ニュースは見ていたものの速水日銀時代の政治状況や経済政策などについてはほとんど覚えていないのが実情である。かのゼロ金利解除という大失策も、あの当時の危機感のない報道もあり大した問題だとは考えていなかった。

どちらの本もきちんと調査されており非常に良く出来たノンフィクションであり、当時の政治状況などを思い出しながら楽しく読むことができた*1。面白いことに両者とも同じ出来事を扱っているにも関わらず、その視点は微妙に異なっている。「縛られた金融政策」では新日銀法の目玉である審議委員の側からみた日銀が描かれているのに対し、「ドキュメントゼロ金利」では政治の側からみた日銀が語られている。視点が異なるということは立場が異なるということである。当然、同一の事象に対して異なる評価が導き出される。

例えば、審議委員で唯一経済学的に正しい金融政策のあり方を主張し続けた元東燃社長の中原伸之氏に対しては、次のようなまったく異なる評価が与えれている。

審議委員“第一期生”のうち、もっとも異彩を放ち、孤立しながらも金融政策の運営に終始影響を与え続けた中原伸之の人選も、福井の判断だった。(p.26)
以後の日銀の政策変更に影響する二つのパターンが生まれた点でも重要な会合だったと言える。その一つのパターンは、中原の先行パターンだ。六月十二日以降四回の政策決定会合で、中原は現状維持の議長案とは別に独自提案を出し続けた。……結局、八月の中原提案が議長提案を先取りした格好となった。(p.84)
中原伸の提案と反対意見表明に対しては、「合意形成を目指したものではなく、自己顕示でしかない」と批判をする向きもある。だが、……中原伸の先行提案が、未知の領域を切り開いてきたのも事実だった。中原伸が提案し、採択されないで積み残されたテーマは、インフレ目標と外債購入ぐらいだろう。政策委がスリーピングに舞い戻らないためには、健全な自己顕示に基づく政策論議が展開されるべきだと思う。(p.267)
就任後しばらくして、審議委員同士で茶話会をやってはどうかという声が出たが、中原は「審議委員同士が決定会合でもないのに、集まって何を話すと言うのだ。事前の打ち合わせになりかねず、かえって世間にいらぬ誤解を与えるだけではないか。コリュージョン(共謀、なれあい)だ」と言って強く反対し、この構想はお流れとなった。中原をめぐる空気は次第に冷えたものになっていくが、本人は意に介さなかった。「私は、金融政策を決めるために、ここに来ている。一体ほかの皆さんは、何を考えているんですかね」「審議委員は政策決定のために存在する。そのために全身全霊を傾けるべきだ」というのも中原の口癖だった。(p.57,58)
同じ審議委員でも中原伸之の人事観は少し違った。「金融政策を変更したいなら、内閣や国会は審議委員の人選で考えればいいんです」……「米国でどういうふうに人選しているのか勉強するべきだ」と中原は繰り返した。当然、この中原の発言を快く思わないメンバーも少なくなかった。「インフレ・ターゲットをやらせたいならそういう思想をもっている人を審議委員にすればいいということであり、あまりに露骨だ。独立性への配慮のかけらもない」(p.144)

「縛られた金融政策」においては孤立しながらも正論を述べ続ける「侍」として語られる一方で、「ドキュメントゼロ金利」では協調性のない身勝手な人物として描かれている*2

しかしながら、両者の見解が一致している点もある。立場の異なる二つの視点から見たうえで、それでも一致しているということは、真実である可能性が高いということである。では、その一致した点は何だったのだろうか。私が見た限りそれは、日本銀行という組織・行員の無能さ、そしてその日本銀行内からさえも呆れ顔で見られる速水優日銀総裁についてであった。

お役所仕事とは言いながらも政治家、国民という外敵に対処しなければならない中央官庁の役人に対し、あらゆる外敵から隔離され守られてきた日本銀行という組織がいかに無能な集団であるかは、どちらの本でも各所で見られる。通常の役所であれば当たり前のように求められる政治家や国民への説明や根回しが下手で、各種文書の文面チェックも甘いなどそもそも外部との付き合いに慣れておらず、聖域だった過去を引きずってか傲慢な素振りを隠そうともしない。そして「独立性」という言葉を盾に政治家などあらゆる外部からの要請に抵抗する一方、批判を書くマスコミへの取材拒否や極めて消極的な情報公開、中原氏の日銀総裁就任に対する組織ぐるみでの阻止など、中央銀行が「独立性」を保持する以上満たさなければならない透明性や説明責任を完全に無視する独善的で保身を第一にした行動にはただただ呆れるばかりである。

また、本来日本銀行は金融政策を行える国内唯一の組織であり、最も専門的な知識を有してしかるべき組織であるが、その経済政策を裏付ける理論はいわゆる日銀理論であり、経済学理論を無視した誤った理論であることはよく知られる通りである*3。しかし、それどころか、データを弄って自分達に有利な状況を作り出そうとさえする。

日銀短観の生産設備・雇用判断DIなどを変数に加工して計算すると(テーラールールは)プラスになったという。この計算方式を「ゼロ金利解除用テーラールール」と呼ぶ日銀当局者もいた。しかし、後にFRB金利がゼロに近づいている時にテーラールールは有効ではないという考え方を示す。二○○○年夏はまさに金利ゼロの状態だった。

ちなみに、経済学者であった植田審議委員は同じくテーラールールに対し最も合理的な前提に基づき、中原審議委員は別の評価手法であるマッカラムルールに基づき評価を行いゼロ金利解除に反対している*4。なお、この時ゼロ金利解除に反対した委員は植田氏と中原氏の二名だけである。このことは、金融政策の運営に如何に経済学に対する見識が必要かということを示している。

そして、その日本銀行の最高責任者であった速水優に関してであるが、はっきり言って書ききれないほどにあちこちから嫌われている。まず、速水が総裁になる前に社長をしていた日商岩井の元監査役、佐々木弥氏は、速水就任の報を聞き下記のように感じたそうだ。

「最初、テレビで速水が日銀総裁に就任することを知り、ホッとした。これで日商岩井から出て行ってくれる、という気持ち。しかし、しばらくしてよく考えてみると、彼が日商岩井をメチャクチャにしたように、今度は日本経済をメチャクチャにするのではないかと思い至り、怒りを覚えた」(p.46)
「(速水は)日銀の忌むべき体質を天性のものの如く自分の身につけた人物。(鼻持ちならないお上意識などを)そのまま日商岩井に持ち込み、日商岩井の風土を汚染したうえ、一九八四年社長に就任するや、『バブルに乗り遅れるな』と支離滅裂な暴走経営を指揮して、日商岩井の経営を破綻にまで追い込んだ」(p.46)

そもそも、就任当初から悲劇は予期された出来事だったのかもしれない。なお、速水は日商岩井での経営も日銀総裁としての政策運営に関しても「最大限がんばったが仕方のないことだった」と一切過ちを認めてはいない。

当時の政権を握っていた政治家と大蔵省にとっては、いくら財政政策を行っても日銀の政策のおかげで効果は減退するわけから評判は良くないのは当然だが、速水は日銀総裁の立場を弁えず不用意な発言をしたり円高は善という主張をところかまわず発言し続けたことから、関係者を何度も蒼白にさせている。以下の話は、ミスター円こと榊原英輔も絡んでおり非常に面白いが、その一方で何でこんな人が日銀総裁をやっているかと唸りたくなる。

この日開かれたG7での討議を終えて理事室に戻っていた榊原を探して、突然電話がかかってきた。
「サカキバラはそこにいるか」
声の主は米財務省の高官だった。
「日銀の速水総裁が日本の銀行の自己資本比率は半分くらいだと言ったということを、ニューヨーク・タイムズが明日の一面で報じると伝えてきた。そちらも筆者に至急電話してくれないか。何とかしないと日本の銀行は大変なことになるぞ」
速水の発言には思い当たる節があった。G7開幕後、恒例の蔵相・日銀総裁そろっての記者会見が開かれた。この席で、速水が金融システム不安に触れ、問わず語りにこう述べた。
「日本の銀行は、かつては世界に羽ばたいて頑張っていたが、現在の問題は結局過小資本だということがはっきりしている。……マネーセンター銀行は、三七○兆円の貸付資産に対し、資本は一五兆円くらいしかない……」
横で聞いていた榊原は「何を言い出すんだ、この人は」と驚いた。三七○兆円の資産に一五兆円の資本? 単純に割り算すれば、自己資本比率は四%ちょっとになる。世界的に活動できるマネーセンターバンクにはBIS基準で八%以上の自己資本が必要になるわけだから、邦銀は平均するとこの基準をまったく満たしていないと言っているに等しかった。(p.67,68)

この他にも、円高が問題となっている状況下のG7で円高は善という主張を繰り返し、国内だけでなく米国関係者をも怒らせたようである。なお、その際に大蔵省から抗議を受けた日銀の事務当局者はこのように答えていたそうだ。

「一体速水さんは何をお考えなのですか」
最初は懸命に弁明していた日銀側も、次第にあきらめ、こう返すことが多くなった。
「すいません。壊れたレコードみたいで」

壊れたレコード! ……さすがは史上最悪の日銀総裁と呼ばれた人物だけのことはある。ちなみに、これはどうでもいい話だが、あの森善朗からも嫌われている。

ほとんどの議員は留守だったが、たまたま自民党の森善朗が部屋に居合わせた。
政治家に不慣れなある審議委員は、のちに首相となる森との会話をこう記録する。
「いきなり延々と速水批判が展開された。同友会のトップだった時の態度は良くなかったとか、けしからん奴だったとか。こちらはあ然として聞いていた」(p.14)

どうしてこのような人物が日本銀行という日本の経済に最も強い影響力を持つ組織の長に選ばれてしまったのか、そのことを考えるとあ然とせざるを得ない。しかし、忘れてはいけないことは、「事態はなお進行中である」ということである。たしかに総裁は速水から福井総裁に移りまだましな状況にある*5とはいえ、景気の回復には程遠く、日銀はいまだ日銀理論を手放してはおらず、組織の体質もいまだ変わっていないようであるということである。

日本の夜明けは遠い。

縛られた金融政策-検証 日本銀行-

縛られた金融政策-検証 日本銀行-

*1:特に「縛られた金融政策」は、名著の域に達していると思う。

*2:これに関しどちらが適切な見方であるかと考えることに意味はないだろう。正しい知見はもちろん必要であるが、それを実現に結び付けられなければ意味がない。人心掌握術も何かを成し遂げるためには重要な要素である。個人的には、実力派経営者であると同時に日本空手協会会長というスポーツマンであり、易学などにも精通、中曽根康弘など政治家とも付き合いが深く、また学者をも上回る経済学の見識など、これ以上なく尊敬に値する人物であると考えている。残念なのは、日銀審議委員の中に中原氏をサポートできる人物がいなかったことである。中原伸之という傑出した人物を生かせなかった日本という国には絶望を禁じ得ない。

*3:日銀の政策の失敗は、米国FRBより正式にレポートが出されており、すでにFRBは日本の失敗を政策へと反映させている。

*4:論争 日本の経済危機―長期停滞の真因を解明する所収の岡田・飯田の論説では、日銀の金融政策がテーラールール、マッカラムルールのどちらで見ても引き締め気味であるとの結論が得られている

*5:「縛られた金融政策」を読む限り、福井は伊達に日銀のプリンスと呼ばれていないだけのことはある優秀な人物のようだ。だが、そのような人物でも日銀理論の継承者であるという事実を考えれば推して知るべしである