予算ゲーム

「来年度予算の売り上げや利益は,確実に達成できそうな数字にしておこう。意欲的な目標を掲げたとしても,うまくいかなかったら責任を取らされ,結局は自分が損をすることになる。重要なのは,意欲的でない目標をいかに意欲的に見せるかだ」
……成果型報酬制度の浸透によって,予算の弊害が今まで以上に目立つようになってきた。予算をめぐる社内での非生産的なゲーミング(駆け引き)が活性化してきたのだ。

成果主義人事制度の導入により、むしろ日本の組織は弱体化しているのではなかろうかと思う今日この頃であるが、その結果は予算の策定時間にも影響し最終的には経営のスピードにも影響を与えているようである。

証券会社やコンサルタントのように個人の力量が仕事内容に直結する業務なら別であるが、長期的に社員を育てる必要のある大部分の産業において成果型報酬制度がいいとは思えない。行動心理学や行動経済学の知見によれば人はプラス評価に比べマイナス評価をより重大と捉える(プロスペクト理論)とのことであるし、鞭による教育は一時的な効果しか持たず飴による教育の方が持続的な効果を得られるとのこともわかっている。

また、合理的期待ではないが、人間誰しも将来の自己の待遇を期待したうえで現在の職場で働くのである。四十くらいになると(実際には無能ゆえであったとしても)社員の大部分がリストラされるような会社に長く勤めようとはしないであろうし、愛社精神など持てるわけがない。将来の不安は現在の不正や怠惰に繋がるのである。

旧来、日本の企業は年功序列・終身雇用を前提として来たと言われているが、実際にはそうではなかった。年功序列とは言うものの、三十歳を超えたあたりから段々と役職に差が付き始め、それが年収の違いに反映されることになる。会社の業績はボーナスに、個人の業績は役職にによって応えるのである。長期的な帰属意識も踏まえながら、能力に応じて年収にも反映させる非常によく出来た仕組みであるように私には思える。

しかしながら、そのような非常に良く出来た仕組みが破壊された以上、その理由はある。言うまでもなく不景気である。前述の仕組みが適切に働くためには少なくても前年並みの経済状況が維持される必要がある。どのようにうまくできた人事制度も事業自体が縮小していく中でも有効性を発揮させるのは至難の業であろう。

今日の日記もいつものようにリフレ汁!で終わるのであった(←ワンパターン)