某所の議論に

えらい既視感を感じるわけだが、結局相手のことを考えられるか考えられないかということ以上のことではないんでないの?

議論だって思考時間を取引しているわけだから、お互いにメリットないと市場が成立しないでしょ。「議論の合間に本を読んで数ヶ月後に再開でもいいじゃないか」とは、たしかにその通りだがそれは方法論の話にすぎない。相手が一ヵ月後に議論を再開するだけのメリットがないと思っているのであれば意味のない議論だ。この時に重要なのは「相手にいかにして本を読ませるか」というサブゲームに勝つことだろう。

もし議論の前提条件として経済学の知見が必要だというのであれば、それが得られる場に行ってやってくれれば良い(例えば学会)。Webのような各人が各人の効用関数をもって参加している状況で「気持ちよく議論をすること」以上のなんらかの前提を置くことは現実的ではない*1

まぁ、ようは適当にしようぜっていうこった。そんな議論は無駄だといっても、無駄な議論だからこそ楽しい状況というのはあるわけで、そこから効用を得られるならば本当は無駄ではないわけだ。

ちなみに、私が思うに「経済学を知らないエコノミストたち」は第一章があるからあれでいいんだと思う。

*1:実際にはブログを炎上させることを趣味にする人もいるわけだから、それすらも現実的ではないのかもしれない