土屋賢二著「ツチヤ教授の哲学講義」を読む
某所で薦められていたので読んでみたのが、これはすごい本だ。
元々、私は哲学というものが嫌いだし*1、そもそも役に立たない学問なんぞ捨ててしまえとある程度まで本気で思っていたりする。
で、私がこの本を読む前にもっていた哲学に対する印象としては、まぁ歴史的な意義はあったかもしれないが、今となっては存在意義のない学問であるというものであり、稲葉センセが言うような露払いの役割、あるいは哲学史の講義を行う役割程度しか残っていないというものである。
であるから、私は本書を極めて批判的に読んだし、読みながらも「現実と言うアンカーに紐付けられていない学門はダメだなぁ」と思っていのである。
しかし、著者の土屋氏が哲学の役割について最終的に問われて曰く、「哲学の役割とは、哲学の役割が無意味であることを解き明かすこと」と書かれてしまっては、グゥの音もでない。恐れ入りました。
この結論については、おそらく異論を挟む人も多いのだろう。しかしながら、私はこの結論を健全であると思うのだ。ある学者が言っていたことだが、学問においてひとつの分野がいつまでも消滅せずに残り続けるのはあまり誉められた話ではない。学問と言うものは目的があって初めて成立するものである。いつまでもその分野が残っているということは、結局のところ目的を達成できずにいるということを意味しているのである。
哲学という学問の原点とも言える分野が多くの社会的に意味のある問題を解決することなく大量に保持し続けるとしたならば、その方が問題であろう。こうして哲学と言う分野が事実上死に絶えることによって初めて、我々人類は高尚で理解が難しいいわゆる形而学上の問題というものを「無意味」という一言で片付け次のステップに進むことができるのである。
ありがとう哲学。そして、さようなら。
- 作者: 土屋賢二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/12/08
- メディア: 単行本
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