モラルハザード

中島隆信『大相撲の経済学』流し読み中、がっかりする部分に遭遇。中島にして「モラルハザード」ってことばの意味がわかってない模様。モラルハザードは、このpdf で書いているような「倫理の欠如」ではありません(モラル(道徳)と倫理のちがいは、ここでは本質的ではないので不問。また、別に他人を欺く必要はまったくない。立ちションをする、電車の中で化粧をするなど道徳的によくないとされる行為ならなんでもいい)。モラルに反する行為そのものではなく、そうした行為を推奨するに等しい環境がモラルハザードでございます。

銅鑼さんの言うように「専門用語は専門用語なのだから文句はうけつけません!」という立場に結局落ち着こうかな……とも思ったのだが、いやそうでもないかもしれん……と、この文章を見て思うた。

専門家も人の子である以上、たとえ専門用語であったとしても勘違いしやすい言葉は勘違いする可能性がある。それは世間的には専門家の不始末であると考えがちだが、毎日発注を繰り返しているはずの株取引の専門家たるオペレータが桁数を間違えたという事件と似たような事柄であり、むしろ単純に確率の問題と考えるべきである。これはユーザビリティの問題なのだ。

おそらく、このような問題提起に対しては「それは本質的な問題ではない」という反論が返ってくるであろう。しかし、マルクス経済学において「搾取」という言葉が多くの人々を惑わせたことを考えると、それは「本質ではないが重大な影響を及ぼす」問題である可能性はあり得る。

ではどうすべきだろうか。私なりの回答は……機会があれば変えた方がいいかもね、という消極的なものである。私は「専門用語と言えども誤解しやすいことは問題である」という立場を取る(ことにとりあえずしてみる)。しかしそれは多くの場合、優先順位の著しく低い問題である。やはり専門家は比較優位に基づきまずは専門分野の研究でこそ活躍すべきなのである。

……とか書きながら、大学の研究者が抱えている無駄な書類仕事や会議の数々に比べれば、十分有意義なのではないかと思ったのは秘密だ(w