効用の最大化

いちごびびえすより

42: ドラエモン   2006/04/15(Sat) 14:12

具体的な問題を設定しないで「最適化してるかどうか?」を論じてもあまり生産的ではないと思うよ。意志を持たない物質であればともかく、人間やそれが組織する集団の場合には、どんな行動が観察されても、それは「選択の結果」であることは間違いないわけで、選択は「他より有利ありは好みに合致するからなされた」と必ず言うことができる。そうでないのが強制の結果だが、それですら強制力を持った奴に抵抗するより従った方が「有利だから」ということができるわけで。

たしかにそうだなぁ。「効用の最大化」という言説は科学ではないということか。問題なのはどのような効用関数が最大化されるかであって、「効用を最大化」するという考え方自体は、ある種の切り口(=事実をどのように見るかという視点)にすぎない。

なぜ、プロスペクト理論や限定合理性という合理的個人の仮定に対して批判が存在しえるのかを考えてみると、実のところそれは「合理的個人」や「効用の最大化」と言った抽象概念を批判しているのではなく、単純にそれ以前に「効用の最大化」と経済学者が言った時に通念として想定される効用関数を批判しているということなのだろう。

ようするに「効用」という言葉が曖昧にならざるを得ない以上、それを批判するにしろ擁護するにしろ、不適切な言説にしかなりえないということなのかもしれない。