国や企業を人とみなさない

「法人」という言葉もあって紛らわしいのだけど、経済問題を考える時には国や企業を人のように考えない方が間違いがないように思うな。なぜ、経済において国や企業を人としてみなしてはならないか。それは、国や企業では効用を享受できないからだ。

よく国家に家を接収されたとか、国に給料を持っていかれるとか言うけれど、国自体に人格はないので国そのものが消費することはありえない。国が消費したということは、すなわち国を構成している人々、すなわち国民の誰かが消費したということに違いないのだ。独裁国家であれば接収された財産が国家元首の懐に入ることもあったかもしれないけれど、現代においてはそんなことはない。増税されたって年金の穴埋めに使われることはあっても総理大臣の給料には結びつきはしないのだ(年金の穴埋めに使われるということは、年金受給者の財産になるということです)。

企業も同様で、よく「労災保険は会社負担なので個人の税金給料からは引かれません」などという説明を聞くが、会社君がお金を持っていかれて不効用を被る……なんてわけはない。会社の持ち金は株主のものである。株主から見れば、労災保険に払おうと個人の給料に払おうと支払うお金は同じなのだから、どっちでも同じだ。だから、労災保険料は会社負担だろうと個人負担だろうと本来個人に支払われる賃金の一部が保険料として差っぴかれているにすぎない*1

で、なんでこんな話を相変わらず書いているかというと、例の森永さんの記事を読んでもなお国の借金は増えてるじゃないか!と言ってる人がいるみたいなんで。国も企業も人じゃないので借金があること自体別に何も悪くない。会社も原則はゴーイングコンサーンだし、国に至っては滅びることはほとんどない。人と違って定まった寿命はないし、合併や併合、統治者が変わったりして半永久的に存在することができる。と、いうことは借金なんていくらあっても借り換え続けることが可能なわけですよ。だから森永さんは債務残高のGDP比をもって財政再建の目標が達成されたと言っているわけ。

*1:この議論をすると、じゃあ労災保険料がなくなるとその分給料が上がるのか、という話になるがその通りである。企業から見れば、労災保険料を含めた費用をできるだけ少なくして労働者を雇用しているはずだ。だとすると、もし労災保険に加入しなくとも労働者がその企業で働いてくれるなら、すでに労災保険料分さっぴいた給料しか払っていないはずである。