著作権の難しさ

著作権の難しさは、著作権者に対して敬意とそれに対する対価は当然払うべきであると誰しも思っているわけだけれど、そこから派生したものに対してまで著作権者の管理下に入るのはうっとうしいという思いも誰しも持っており、だからと言って作者の気持ちを損ねるような非常識な使われ方はやはり制限したい、という、とても曖昧で都合のいい要件にあるのではないだろうか。

確かに一部では永井豪とか松本零士のように(自分のことは棚にあげて)著作権者の権利を過度に守ろうとしている人もいるが、そのような人はごく一部であり、大部分の人の意識は前述のような要件に収まっているように思える。

そういう意味で実は著作権者と利用者の立場にはそれほど隔たりがないとも言える。どちらかと言えば問題なのは実装たる著作権法の側にあり、曖昧な要件をうまく実装できなかった現在の著作権法では厳密に施行されると一部の人を除きみんな困ってしまうということになる。それ故に闇市的なコミケ会場の存在が世間的に認知されながらも黙認されていたり、非親告罪での運用とされているとも考えられる。

もし上記のような仮説が正しいならば、著作権法を厳密に解釈するのは法律上正しいが、現実世界では正しくない、ということになる。むしろ世間の常識から著しく逸脱したケースのみ罰することこそが正しい運用と言えるだろう。