なぜ合理的期待を前提とするのか

経済学者のうち誰一人として合理的期待仮説通りに人間が振舞うと考えている人はいないと思うが、それでもなお合理的期待仮説を前提に理論が組まれるのはなぜか。

思うに、合理的期待仮説は期待という考え方に関して最も網羅度の高い考え方、すなわち上限値として機能するからではないだろうか。ようするに、現実は「期待なし」という下限から「合理的期待」という上限の間にあるに違いなく、結論も間のどこかに収まると考えられるのである。