経済学ギャップを観察する

Yasuyuki-Iida 2009/04/09 21:50

それとは逆に経済学への批判的言及はごまんとあれど,どれも経済学者が日頃「ここやべえよ」と思ってる箇所と違うんですよね

2009-04-07

名無しさん 2009/04/10 07:26

つい最近まで実証研究もしないで神学論争をしていた学問だからでしょう。合理的経済人、完全市場その他、通常なら前提が実証出来ていないで終了するレベルの議論です。モデルも大量に存在しますが、相互の関係が不明確で予見に使えるレベルですらありません。

2009-04-07

経済学者とそうでない人のギャップが見える面白いエントリ。

いや、正直昔は私も後者の見解に近かったけど、今はそうは思っていない。そして、それには理由がある。

合理的経済人は非現実的だと言うけど、それは「人」のモデルとして見るから違和感があるのであって、「消費者」のモデルとしては別に変でもなんでもない。単に選択肢の中で一番良い選択肢を選ぶと言っているだけなんだから。もちろん、完璧かと言えばそうじゃない。行動経済学の例などはまさにそうだけど、とはいえ消費者行動の全体からすれば例外ケースとみなせる程度の話だ。実際、実験経済学では様々な実験が行われているが、それを見る限り人は消費者として振舞う時は我々が思っている以上に合理的な行動をとっているようだ。

一見、とても非現実的に見える効用関数のモデルすら、ある一瞬の心の動きを表現したものと考えれば特に奇妙ではない。財が提供されたというショックを与えたとき、他のショックがないクリーンな環境での均衡としてどのような選択がなされたのかを表現していると考えるべきなのだろう。

完全競争市場も非現実的かと言われればそうじゃない。特に農業生産物のような需要と供給が単純な関係にあり、世界中で作っていてプライスメイカーが存在しない財では、完全競争市場が十分なモデルとして使える。それに、完全競争市場の理論は、現実を説明するモデルであると同時に最適化アルゴリズムでもあることを理解するべきだろう。すなわち現実が完全競争市場でないならば、完全競争市場に近づくことでより効率的な社会が実現することになる。

ただ、私もいまだに合理的期待に関してはいまだに腑に落ちない。もちろん合理的期待は現実を説明するひとつのモデルとして有意義であることは否定しようがないわけだけど。現実は適応的期待と完全な合理的期待の間にあるだろうことは疑う余地ないわけだし。

とはいえ、合理的期待が現実のデータをうまく説明できない以上、社会を説明するモデルとしては不十分だという問題がある。その一方、完全競争市場の理論とは異なり、資源の最適配分をするためのアルゴリズムとしても役に立ちそうにない(期待が期待である以上、外れることも当然あるわけで)。と、考えると、合理的期待を考慮したモデルは意味がありそうだが、合理的期待をあまりにも重視しすぎると経済学の目的意識からは遠のいてしまうように思える。