今の日本は不況ではなく構造変動だ by 鈴木謙介

今頃になって昨年末のLIFEを聞いているのだけれど、チャーリーこと鈴木健介氏から次のような衝撃的な発言が。

僕も今年グローバリゼーションを大学で教えててね。すごく学生達が目うろこなのは。今の状況ていうのは不況じゃないんだ、構造変動なんだと言うと、みんなびっくりするんです。びっくりすること自体がびっくりなんですけど。グローバリゼーションというのはこういうことがあって、実は先日対談した萱野さんとの対談でもそういうことをしゃべっているので、ぜひ聞いていただきたいんですけれど。今、日本が迫られていることは構造変動なんだ。不況だから我慢していればいつか良くなるものじゃなくて、構造変動に直面しているんだ

2009年12月27日「文化系大忘年会2009」Part6 (文化系トークラジオ Life)

私もびっくりです。今の日本は単なる不況だと思うのですが。もし構造変動だとするならば、何をしようと不況は防げなかったし、簡単には解決しないということになってしまう。構造変動なので、学生である君達が就職に失敗するのは致し方ないことだと言うつもりなのだろうか。

昭和恐慌、大恐慌含め過去に何度もあった現象だし、日銀がきちんと機能すればとうに解決していた問題なわけでしょ。失われた20年の中に大きな物語を見出したとしても、事実として単に政策を失敗し続けただけなのであれば、その物語は錯覚にしかすぎないと思うのだがいかがだろうか。

直前の柳瀬氏によるグローバリゼーションについて発言がすばらしいだけに、がっくりときてしまった。

日本の不況に関してはむしろ安達誠司氏の感想の方がしっくり来る。

本書を書くきっかけとなったのは、今回の日本のおけるデフレーションを巡る経済論争が、約七〇年前に起こった昭和恐慌期に闘わされたそれと全く同じレベルの議論であったことに気づき、ある種の脱力感に苛まれたことであった(中略)日本における経済思想の流れを、通常の経済思想史の手法とは逆に、現代から明治維新期まで遡ってみると、経済失政をもたらす思想的な背景として、江戸時代の朱子学的な思想、特に、金融を「虚業」として軽視する考え方が、明治時代の為政者の中に脈々と受け継がれていることがわかった。この「金融軽視」の考えが、通貨システムに対する無理解に形を変えて、日本を度々デフレーションに陥れていること、そして、幕末の攘夷思想のトラウマともいえる「アジア主義」がこの通貨システムの無理解と融合することによって、円高信仰が生まれたというのが、日本の経済学における「敗戦」に他ならなかったのではないだろうか。

安達誠司『脱デフレの歴史分析 「政策レジーム」転換でたどる近代日本』 - rna fragments

今回の不況は構造変動ではない。むしろ日本の構造が変わらなかったからこそ、災厄が再来したのだ。我々は学問に真摯に向かい合うという意味での構造改革を今まさに迫られているのである。