合理的期待仮説を合理的に理解する方法(草案)

道草に投稿されたスコット・サムナーの力作「わがロールモデル、ジョージ・ウォーレン」を読んでいた際、ふと「合理的期待仮説はこう解釈すれば辻褄が合う」ことに気付いた。現段階では、思いつきであるし、この解釈を取るならば本職の学者が書いたある種の論文の解釈に疑問を呈す結果になるため、半信半疑なところもあるが、せっかくなので公開する(問題があれば、やさしく教えてください)。


合理的期待仮説とは、人々は現在利用可能なすべての情報(この情報には経済モデルも含む)を使い将来を合理的に予測し行動する、という仮説である*1。この仮説を聞いてどう思うだろうか、人々が現在の情報を使って予測すると言う点に関してはリアリティがある一方、「現在利用可能なすべての」という点には疑問符を付けざるを得ない。なぜなら、合理的期待仮説が成り立つ世界では、人々はこの世界の経済モデルを理解し、あらゆる統計情報を知っていなければならないことになるからだ。

このように、ある種の欠陥を抱えているように見えるが故に、毛嫌いする経済学者も多くいたようである(特に日本の経済学者には多かったと聞く)。しかし、人々が将来を予測して行動すること自体は自明であり、また、人々が将来を予測する際に発生する「ルーカス批判」問題を解決して経済分析をするための最も簡便な方法ということもあって、現在では主流の分析ツールとなっている。

ただ、実際のところ経済学者自身、どこまで信じているのか疑わしい。前述のスコット・サムナーも「多くの経済学者はリップサービスで合理的期待を語りはするが、そのキモを信じていない」と語り、矢野浩一氏の講義資料でも「15%が合理的でないという人もいれば50%が合理的でないという人もいる」と書かれていたりする。実は、前回のエントリで取り上げた実験経済学(あるいは行動経済学)では、人々が合理的期待を持っているとする根拠はない、とされているようだ。しかしながら一方で、ハイパーインフレ収束や量的緩和の効果が実際の政策実施ではなく声明を行った段階で発生することはよく知られている。このような現象は、合理的期待を想定しなければ理解できない。

ここでお決まりの合理的期待批判をするつもりはない。このように相矛盾した合理的期待仮説をどのように解釈すれば心から信じることができ、そして後ろ暗さを払拭できるのか、というのが論点である。さて、合理的期待仮説は正しいのか間違っているのか。

【回答】その問い自体が間違っている。

人々は合理的期待仮説の言うように現在利用可能なすべての情報を使って予想しているのか? そんなわけはない。では、間違いなのか。いや、そうではない。政策的帰結があからさまにわかるのであれば、合理的期待仮説が成り立っているように人々は振舞う、と解釈すべきなのである。

もっと具体的に説明しよう。ある論文に「量的緩和が効果があるか否かは、市場参加者がどのような期待を抱くかに依存する」という結論が書かれていた。しかしよく考えてみると、これはずいぶん変な話ではなかろうか。市場参加者は、より儲かると思われる行動を取るに決まっている。市場参加者がどのような期待を抱くかは、「市場参加者がどのような期待を持っていたか」ではなく、「その政策の帰結がどれくらいあからさまであるか」によって決まってくると考えるべきではないか。

この二つは同じように見えて微妙に違う。合理的期待仮説の主体は従来の解釈であれば各個人であった。その前提では、各個人が非合理であれば、合理的期待仮説は単なる机上の空論と言うことになってしまう。だが、この新しい解釈では主体は政策実行者である。政策実行者がどれだけ見え透いた形で政策を実施するかによって政策効果が異なってくるのである。

リフレ論争の中でしばしば「目標を設定しただけでインフレになるわけがない」という言説が取りざたされる。この言説に私は賛成する。目標を設定しただけでインフレになるはずがない。もし、日銀が2%のインフレ目標と共に一時的な金融引き締めを発表したらどうなるだろうか。

逆にこのような場合はどうだろうか。一時的な金融緩和は無効なのだから、絶対にインフレになりませんと宣言しながら、一度きり100京円分の国債を直接引受してみるとか。

政策の帰結が明らかであれば、市場はその帰結を折り込んで行動するだろう。もし、政府がインフレを実現したいのであれば、市場関係者の誰もがインフレになることを疑わないような政策を実施すべきということになる。

さて、このように解釈すれば、現在の合理的期待理論を擁護しながら、現実との整合性も保てると思うのだがいかがだろうか。

[2011/01/29追記] 間違っている確率がそうでない確率の二倍以上でないと、自らの判断を改めて周りに追従することはないという研究があるようだ。と、するとこのエントリの内容は割合当たっているのかも。

*1:「期待」という言葉が誤解を招くとの批判がしばしばなされるように、合理的期待仮説の「期待」はexpectationの訳語であり、意味合いとしては「予測」の方が近い